泡沫の龍騎士 プロローグ

 どこまでも広がる草々を踏みしめながら、二人の少年はなだらかな丘を駆け上っていく。
 空は果てがないくらいに青く広がり、所々に雲が浮いていた。
 二人の少年は、丘の頂上に着いたところで足を止め、そんな空を見上げる。
 坂道を走ってきたため、二人とも少し呼吸が荒い。しかし彼らの顔は、目に映る光景によって光り輝いていた。

「間に合った! すげえ、一、二......九騎も飛んでるぜ!」

 まるで夜空のように黒い髪を持った少年は、隣に居るもう一人の少年に言う。
 彼らの目に映るのは、高空を悠然と飛び行く九つの影。その一つ一つが、蝙蝠のような薄い翼と長い尾を持っていた。人々が(ドラゴン) と呼ぶ生き物だ。編隊を組み、悠然と空を飛んでいく。
 彼とは対極的な、月光のように白い髪を持った少年は、彼の言葉に頷いた。

「本当にすっごいね! あんなに高いところを自由に飛べるなんて......! ノルヴも、いつかあれに乗るの?」

 ノルヴ、というのは黒い髪の少年の名だ。
 彼は、得意げに胸を張る。

「もちろんだ。そんときゃ、レアも一緒にやろうぜ、龍騎士」

 白髪の少年、レアはノルヴの言葉に顔を少し曇らせた。

「僕は、ノルヴみたいに強くないからさ......」

 するとノルヴが、レアの肩をガシリと掴む。
 その顔は、やはり微塵の不安も感じさせない、明るいものだ。

「心配すんなって。俺と一緒なら怖いものなしだろ? 行こうぜ、帝国軍」

 ノルヴの言葉に、レアは少し呆れたような表情になった。彼がノルヴの前で気弱な態度を見せたとき、ノルヴはいつもこう言っているのだ。

 他愛ない、しかし未来は潤沢にある、まだまだ幼い少年達の会話だ。
 温暖な、それでいて爽やかな風が丘を駆けていく。
 龍達は、彼らの遥か上空を、悠然と飛んで行った。

――

 葉擦れの音が、ノルヴの意識を過去から現実に引き戻した。
 彼が今居るのは、山中の木を切り開いて作られた施設。
 そこは、所謂(いわゆる)駐屯地や基地と呼ばれるところで、軍の騎士達が自分の操る龍と共に駐留している。ノルヴも、そんな騎士の内の一人だ。
 彼は閉じていた目を開き、空を仰ぐ。龍が飛びたてるように基地の前は開けていて、その端に置かれた木箱の上に、ノルヴは座っていた。少し冷たい夜風が、彼の肌を撫でる。
 目を閉じる前は、まだ空に夕日の色が残っていた。しかし既にその色は消え、辺りは真っ暗になっている。生憎新月のようで、月明りもない。

「隊長! こんなところにいたんですか」

 不意にランプで照らされ、ノルヴは顔を上げた。そしてその明かりの主が自分の部下である事を確認する。

「どうした」

 彼は部下に短く問う。その声は低く、あまり感情が感じられない。
 思わず辟易した表情になる部下。

「どうしたも何も、作戦開始まであと何分もありません。準備を――」

「俺がそこまで言われなければいけない理由がわからないな」

 部下の声を遮るようにして言い、ノルヴは指笛を吹いた。
 高く、まるで鳥の鳴き声のような音が、基地を囲む森に響き渡る。

 そして数秒の静寂。

 次に聞こえたのは、葉が擦れる音と、龍特有の、重々しい羽ばたきの音。
 森の中に居た龍が、ノルヴの指笛に反応して飛び、彼らの傍に降り立った。
 その龍は、ノルヴの髪や瞳と同じく、まるで夜空のような黒色をしている。

「お前らの準備が終わるのを待っていた。早くしろ。この作戦はどう転ぼうと今後の戦況に多大な影響を与えるものだ」

 独特な威圧感のあるノルヴの声に、部下の男は圧倒されたようだった。慌てて返事をすると、基地のほうへと戻っていく。
 そして、またも一人になったノルヴ。
 彼が呼んだ龍は、短く唸るような声を上げると、彼へと顔を寄せた。
 ノルヴは、足元に置いてあった小さな木製の樽から、黒く光沢のある鉱石を取り出すと、龍の口に向かって放る。
 それを受け取り、龍は咀嚼した。グルグルと喉が鳴っている。鉱石を飲み込むと、大人しく地面に座り込んだ。
 ノルヴの操る黒龍は、いくつかある龍種の中で唯一夜目が効く種だ。
 その爬虫類然とした目には、ノルヴの顔の右側にある大きな火傷跡が、はっきりと映っていた。

 数秒の沈黙の後、基地前は俄かに騒がしくなる。
 ノルヴの部下達が、各々の龍を連れて外に出てきたのだ。数にして九。連れている龍の色は全て黒だ。

「来たか」

 ノルヴは、やはり無感情に言うと立ち上がり、額に上げていたゴーグルを下げる。
 彼の隣に居る龍は、首の付け根、ちょうど人が跨れる太さのところに、鞍や鐙(あぶみ)のような器具がついている。ノルヴはそれを足掛かりにして龍に跨った。

「これより、アレニエ国軍港、マルガリトム港への奇襲作戦を開始する! この作戦は、我がシュピネー帝国からアレニエ国への宣戦布告、及び敵主力艦を殲滅(せんめつ)する事が目的だ。微塵の失敗も許されない! 全騎、覚悟してかかれ!」

 九騎の龍と龍騎士が飛び立てる体勢になったところで、ノルヴはそう叫ぶ。彼もまた、九騎を先導する位置に移動していた。
 そしてノルヴの声に、騎士達は大声で返答する。

 その声を合図にして、龍達は一斉に離陸した。
 基地は山の斜面にあるので、飛び立つとすぐに地面が離れていく。一瞬で辺りが闇に包まれた。月明りもない為、地面は全く見えない。
 空は快晴、所々に星が瞬いている。
 ノルヴの顔に吹き付ける風は、まるで氷水のように冷たい。その風の勢いだけが、彼らの飛行速度を物語っていた。

 轟々と唸る風の音を、ひたすらに聞き続ける時間が、しばらく続く。
 隊の先頭を行くノルヴは、恐らく地平線のある辺りの闇に、じっと目を凝らしていた。
 少しすると、視線の先に明かりが見えてきた。民家などの放つ弱々しい光ではない。大きな施設特有の、煌々とした明かりだ。

 彼らの目的地、マルガリトム港だ。

 港の明かりは、どんどんと大きくなっていく。そして少しずつ、港付近の海岸線と、そこに停泊している巨大な帆船の影がはっきりしてきた。

 ノルヴは、自分の左耳に付けられた装置に指を当てる。その装置は、一見石を磨いただけの装飾品に見える。

「異常なし。事前に伝えた作戦に変更はしない。行くぞ」

 彼の一言は、装置を通して隊の全員に伝えられた。
 そして、十騎が一斉に、港へと向かう。

 港に浮かぶ帆船は、硬質な鉱石と木を組み合わせてできた軍艦だ。側面には大砲の為の穴が開いている。
 彼らは港上空に到達すると、地上から見つからない程度の高度を保ちつつ散開した。

 その数秒後、港の至る所で大きな爆発が起こる。
 大きく炎を立ち昇らせる爆炎は、港を一層明るくした。

 ノルヴらが、予め積んでいた爆弾を軍艦の上に投下したのだ。

 そして炎上する船の中の一つが、しばらくして大爆発を起こした。積まれていた火薬に引火したようだ。

 人々が慌てて外に出てくる頃、ノルヴ達は既に出発した基地へ向けて方向転換している。
 港内の海は燃え盛る炎で赤く照らされていた。
 この惨状は、ノルヴらの奇襲作戦が、完璧に成功している事を物語っていた。

 彼らの住む大陸の名は、レスぺ。何十年もの間、国々が争いをしている。
 そして今、新たな戦争の火蓋が切って落とされた。