泡沫の龍騎士 1話

「二人とも、我が国の勝利の立役者として、後世に名を遺すことでしょう。ご苦労でした」

 マルガトリム港襲撃より数日、ノルヴはもう一人の男と共に、目の前の女性にそんな言葉をかけられていた。
 場所は、ノルヴらの上官らしい女の部屋。あまり広くなく、ある家具といえば、木製のデスクと、彼女が座っている椅子くらいだ。

「まだ気が早いですよ、レリス騎士長。まだ戦争は始まっただけ、後世では我々は重大な戦犯と言われているかもしれません」

 ノルヴの横に並ぶ男が、そう返す。レリス、というのは目の前の女のことのようだ。

「確かにそうですね......兎に角、二人とも期待していますよ」

 レリスはそういって微笑みかける。その顔は、軍人とは到底思えないほどに綺麗だ。肌も身に纏っている服も白く、髪はそれに対抗するかのように黒くて艶やか。歳はまだ二十代半ばで、体つきも文句なし。
 並みの男ならば、頬を緩めたり、鼻の下を伸ばしてしまうのも致し方ないといった容貌である。しかしノルヴやもう一人の男は、全く動じていない。
 二人は敬礼すると、部屋を後にする。
 騎士長が彼らに述べた感謝は、先日彼らが重要な作戦を完遂したことに対してだった。
 ノルヴは、言うまでもなくマルガリトム港奇襲について。そして彼を共に居た男は、マルガリトム港襲撃と同時刻に行われた、別の作戦について、だ。

「何故お前なんぞに......」

 部屋を出た後、扉の前で男はぼそりと言った。明らかにノルヴに向けられた言葉で、しかも声色には怒りや妬みといった、良くないものが混ざっている。
 当のノルヴだが、扉の前に立ち、足早に廊下を去っていく男の背を無表情に見ていた。

 突然ノルヴの背後で物音がする。
 振り返ると、先ほどノルヴが出てきた木製の扉が開いており、そこからレリスが顔を覗かせていた。

「すみません......一つ伝え忘れていたことが」

「まだ何か? アドウェルならもう行ってしまいましたが」

 ノルヴはレリスに聞く。アドウェルというのは先ほどノルヴに毒づいていた男の名だ。
 しかし用事があったのはノルヴだけらしく、彼女は気にしていない様子だった。

「大丈夫です。一つ任務......というよりお願いがあるのですが......」

――

「俺と騎士長の二人で、ですか?」

 再び部屋の中に入ったノルヴは、レリスの言葉を聞いて言った。

「はい。南鉱山に錬金術師の一派が居るのですが、武器生産に関しての協力を仰ぎたいのです。彼らは高いアルム加工技術を持っているので、対龍弾の効力を上げられる筈です。そのための交渉につきあってもらおうと」

 彼女の言う錬金術師とは、大陸中に存在する研究者の事だ。主に特殊な効力を持つ鉱物、鉱石の研究をしている。
 そしアルムは、人にとってはただの石だが、龍に対しては猛毒になるという性質を持った鉱石だ。龍騎士同士の戦闘は、如何に敵の龍を堕とすかが重要となり、たった数発で龍を衰弱させるアルム製の弾丸は戦闘の要となる。
 レリスの説明に、ノルヴは少々疑問を浮かべた。

「分かりました......が、何故今更? 開戦直後で緊迫した状況の今よりも、もっと前に交渉できたと思うのですが」

「実は、以前から交渉を進めていたのですが、断られていたんです」

「断られた?」

 頷くレリス。曰く、拒否する理由はまるで不明だということだ。
 暫く考え込むノルヴ。

「理解に苦しみます。彼らにとっても、費用やら材料やらが楽に手に入るので、かなり大きい利がある筈ですよね?」

 彼の言葉に、レリスは唸った。ノルヴに同感らしい。

「そうなんですよね。恐らく何か裏が......それを聞きだす為にも、貴方の交渉力を借りたいのですよ」

 なるほど、と言いながらノルヴは顎を摘まむ。

「兎に角行ってみましょう。直接聞いてみないことには、何も言えませんので」

――

 シュピネー帝国は、海に面した北方を除いた三方を山に囲まれた国だ。王宮及び城下町があるのは最も内陸、つまり国の南側で、帝国軍本部があるのもそこだ。よって本部を出るとすぐに、城下町の喧騒に包まれることになる。
 雑踏の中を、ノルヴとレリスは歩いていた。

「いつ見ても活気があっていいですよねえ、この街は。売られてるものも素敵なものばかりです」

「それはいいですが、俺は騎士長様のウィンドウショッピングに駆り出されたわけじゃないんですよ」

 宝石をあしらった装飾品が並ぶ店を覗くレリスに、ノルヴは冷ややかに言う。
 彼の言う通りになりかけている事に気づいたレリスは、店の前から離れた。

「わ、わかっていますよ。ただ素敵だと思ったから......」

「女性が目的を忘れて買い物を始める原因は大方それじゃないですか」

 ノルヴの口撃に、レリスはぐうの音も出なくなってしまう。
 二人は、徒歩で南鉱山中腹まで向かう段取りを組んでいた。

「あ、今思ったんですが、これ貴方だけで行ったほうが、龍に乗れるので早く済むのでは?」

 ふと、レリスがそんなことを言う。
 龍に乗ることができるのは、男性のみだ。古来より女性が龍に乗る研究は続けられているのだが、乗龍による戦闘が主流となった現在でも、実現していなかった。
 一見ごもっともなレリスの意見に、ノルヴは溜息をつく。

「そこまで高位でもない一介の騎士一人が出向いて、連中が納得するわけないでしょう」

「ですよねえ......」

 またしてもノルヴに言い負かされる形になったレリス。
 彼女を呆れた目で一瞥すると、ノルヴは周囲を見渡した。何かに気づいた様子だ。

「どうしました?」

 レリスが声をかける。

「いや、我々妙に視線を向けられている気が」

 そう言われて、レリスも周囲に目を向けた。
 ノルヴの言う通り、彼らの周りにいる通行人の幾人かが、ちらちらと彼らに目を向けているようだ。

「やはり、バレましたかね?」

 小声になり、レリスはノルヴに耳打ちした。
 バレるばれないというのは、彼らが帝国軍のトップと、マルガリトム港襲撃の立役者である、ということについてだ。騎士長であるレリスは言うまでもなく、ノルヴもマルガリトム港襲撃以前からその実力により顔が知られている。そんな二人が普通に街中にいたら、驚かない人はいないだろう。
 そんな言は二人も理解していて、眼鏡をかけたり、目立たない服を着たりと、色々工夫をしてきているのだ。
 にも関わらず、二人には通行人の視線が集まっている。

「どうしても大通りは目立つようです。大人しく路地裏を行きませんか?」

 ノルヴの提案に、レリスは同感のようだった。
 因みにその提案をした時、ノルヴは、まるで有名人のようだなどと思って内心苦笑いを浮かべていた。帝国軍の実力者も、ある意味では有名人なのだが、それに突っ込む者は誰もいない。
 更に言うと、二人に向けられていた目線は『こんなところに軍のトップがいるぞ』という畏怖孕みのものではなく『抜群のルックスをもつカップルがいるぞ』というものだった。二人がそれを知ることは永遠にないだろうが。

 路地裏は、人がいないというわけではないものの、やはり大通りと比べると閑散としていた。

「始めからこっちを通っていれば、こそこそ隠れるような思いもせずに済んだだろうに......」

 溜息交じりに言うノルヴ。
 大通りを行こうと提案した張本人は、苦笑いを浮かべた。

「確かに、こっちのほうが話もしやすかったですね」

 レリスの言葉に引っ掛かりを覚えたノルヴは、思わず立ち止まる。丁度右側に分かれ道が伸びている、丁字路だ。
 数歩先行してから、彼が立ち止まったことに気づくレリス。

「話?」

 彼女の背中に投げかける形で、ノルヴは尋ねた。
 立ち止まり、ノルヴのほうを振り返るレリス。

「貴方の生い立ちについて、です。勿論無理強いはしません。貴方は私が最も信頼している人の一人です。なので、どうしても気になってしまって」

 その声は、先ほどまでの少々緩んだものとは違う、シュピネー帝国騎士長のものだった。
 そして彼女の質問は、ノルヴの中ではかなり重い意味を持っている。彼は今までに、軍に入る前の事を誰にも明かしたことがなかった。
 次にノルヴが口を開くまで、数秒の時間がかかった。

「別に教えるのは構いませんが、一つ条件を提示してもいいですか? 命令ではなく、興味なんですよね?」

「ええ、内容にもよりますけ――」

 何かが飛来してくる音が、レリスの言葉を遮る。
 それは、二人の間、ノルヴの右側から伸びる道から飛んできた。
 鋭敏に音を聞きつけ、頭を引くノルヴ。
 彼の前髪を数本切ったそれは、道の反対側の壁に突き刺さった。見ると、小型のナイフのようだ。

「んなとこで何やってんだ?」

 ナイフが飛んできた方向から、低い男の声と共に数名の足音が聞こえてくる。
 現れたのは、三人にガラの悪い男たち。各々手にこん棒やナイフなど、物騒な物を持っていた。

「なんだ、お前ら」

 咄嗟にレリスを自分の背後へ庇い、ノルヴは男らに聞く。咄嗟の判断、といっても、彼がしたのは『レリスを守らねば』ではなく、『とりあえず町民らしく振舞おう』というものだ。筋骨隆々の男衆をものともしない強さの女などそうそういない。ここは目立たないようにと考えたのだ。

「生意気に強がってんなあ。そんな金持ちそうな恰好でこんなとこふらついてたら、ちょっとばかし稼がせてもらえるんじゃねえかと思うのは当然だろ?」

 先ほどのナイフを投げたらしい、他の二人の前にいる男が言った。他の二人は、ニヤニヤと笑みを浮かべている。

「だから、金目のもの寄越してくれりゃ、あとは何もしねえ。だからよぉ」

 男は、数歩ずつノルヴらと距離を詰め、手のナイフを彼らに向けていた。
 完璧なカツアゲの形だが、ノルヴは全く動じず、軽く溜息をつく。

「断る」