泡沫の龍騎士 3話

「本部出発しました」

 高空を飛ぶノルヴが、通信装置に向けて言う。彼は一旦村から本部に戻り、そこから国の北、戦闘が行われている場所に向けて飛んでいた。
 通信の相手は、龍に乗れない関係で村に残してきたレリス。返答はすぐに戻ってくる。

「わかりました。こちらも援軍が到着したのでこれから本部に戻ります。くれぐれも、よろしく頼みます」

 重みのある彼女の声に、ノルヴは力強い返事をした。
 そして彼は逡巡する。

「どうしました?」

 中々通信を切らないノルヴを不審に思い、レリスが声をかけた。

「もう少し落ち着いたところで話したかったのですが、私の生い立ちについて、今話してもいいですか?」

 突然のことに、レリスが訝しむような声を漏らすのが聞こえる。

「どうしてですか?」

「......聞けばわかります」

――

 数分後、ノルヴは戦地に到着した。
 彼の視界内には、乱戦の様子が見え始めている。
 今居るのは、シュピネー国北の海上だ。
 乱戦の様子を見て、ノルヴは歯噛みした。
 海上には、五隻の巨大な軍艦が五隻並んでいるのが見える。それは、アドリア国が保有する巨大龍送艦隊の内の五つだった。その名の通り、中に大量の龍と龍騎士を載せて運ぶことができる船で、アドリア国は、それを何隻も保有している。内数隻は、先日のマルガリトム港奇襲により撃沈されたのだが、それでもなお、この戦争における目の上の瘤になっているらしかった。ノルヴの目の前でも、数の上で劣るシュピネー国軍が劣勢となっている。

「だから湾岸駐留の騎士をもっと増やせと......」

 不満を漏らしつつ、ノルヴは腰のホルスターに収められた二丁の小銃を取り出した。
 乱戦となっている場所まで、あと数百メートル。ノルヴに気づいたらしい敵機が、こちらに向かってくる。敵機の色は、暗い赤。
 敵機の上から、微かな発砲音が聞こえた。
 発砲を確認すると同時に黒龍の翼を上に上げさせ、一瞬落下状態になるノルヴ。彼の頭上を、弾丸が通り抜けていく。
 前方斜め上にいる敵機は、そのままいくと、ノルヴと上下方向ですれ違う形だ。
 瞬間、ノルヴは敵機に向けて両手の銃の引き金を引いた。
 破裂音と共に放たれた弾丸は、敵機の、血を思わせる色をした腹部に命中する。
 敵機は、急激に動きを鈍らせ高度を下げていった。
 それを見届けるまでもなく、ノルヴは近くの敵機へと向かっていく。

 途中、付近を味方の龍が通り過ぎた。

 色は、先ほどノルヴが撃墜した敵機と同じ、暗い赤。

 乗っている騎士の姿が、ノルヴの視界の隅に映る。

 その姿を、ノルヴは思わず目で追った。彼の表情には、不審や驚愕が見て取れる。

 ノルヴが見たのは、まるで月光のように――

 次の瞬間、彼の頬を敵の放った弾丸が掠めた。
 一気に正気を取り戻したノルヴは、右後方から迫る新手を確認する。
 そして、少々左へ旋回すると同時に、一気に高度を上げた。巧みに翼を操らせ、黒龍は、地面と垂直になる。
 更にそこから落下。縦に旋回する途中だったので、丁度ループを中断し、背を地面に向けて落下する形だ。
 ノルヴは逆さまになった状態のまま、下を見上げ、その視線の先に居る龍に、弾を打ち下ろした。
 今度も命中する。

「援軍きました!」

 ほぼ同時に、そう通信が入った。
 チラリと陸側を見ると、十体近くの龍が飛んできているのが見える。

 その後、戦闘はシュピネー国の優勢に形勢が変わり、アドリア国は撤退していった。

――

「......わかりました」

 アドリア国の攻撃を凌いだ報告を、レリスは本部にて聞いた。彼女は、援軍部隊の編成と状況の確認をしていたのだ。
 今彼女がいるのは、本部中枢にある騎士長室。副騎士長ガルドも、同室にて報告を聞いていた。

「まあ、とりあえずの勝利って感じだなあ」

 報告を聞き終えると、ガルドは呟く。
 レリスも異論はないようで、瞑目し、椅子にもたれかかった。
 数秒間そうしていると、彼女は目を開き、今度は両手を組み、机の上に乗せる。

「あの件のことですが」

 一言だけで、ガルドは何の事かを悟ったようだ。更に目つきが険しくなる。

密偵......ねえ。十年前つったら、丁度山裏の村の事件の頃だよなあ。あれも何か関係があるのか? それに、その密偵は何の情報を......いや」

 言葉を途中で切り、ガルドは少し顔を伏せた。あまり良くない事を考えているようだ。
 ガルドの考えている事が分かったレリスは、肘を立て、組んだ両手に額を乗せる。

「最悪なのは、国、あるいは軍の中枢への侵入を許してしまっている場合ですね。ある程度腕の立つ者ならば、十年あればこの座に座る事も可能でしょうから......何ですかその目は」

 レリスの言うこの座、というのは言うまでもなく騎士長の座のことだ。そしてそれを言った瞬間、ガルドがレリスを見つめた。彼女の最後の言葉は、その目が言っていた、「まさか」というガルドの内心に向けられている。

「まあ、騎士長様には悪いが、龍を手名付けられねえ女を、スパイとして送り込むわけがねえよな。それにあんたの外見を真に受けるなら、十年前は少女だろう?」

 苦笑交じりにガルドは言った。女性に対する物言いとしてはとんでもなく失礼だ。だがレリスはガルドを一睨みするだけに留める。

「兎に角、国にも上げておきますし、我々も軍内を調査する必要がありますね。こんな時に、といった感じですが、兵一人一人の身元を洗い出して――」

「そうだ、身元と言えば、お前、本人の口から聞いたのか?」

 言葉を遮り、唐突に話題を変えたガルド。
 するとレリスは、少々不機嫌そうな表情になった。

「ええ。彼を十年前から育てている師が中々口を割ってくれないから、本人に聞く羽目になりましたよ」

 そして、湿度の高い視線を、ガルドに突き刺す。
 ガルドは、豪快な笑い声を漏らした。

「中々皮肉をかましてくれるなあ。多少は俺の心情も汲んでくれよ。こういう事は、本人、ノルヴの口から伝えたほうがいいだろう?」

 ノルヴの持つ、銃や格闘含めた戦闘の技術は、全てこの副騎士長が伝授したものだ。十年前にある出来事が起こって以降、彼の親代わりをガルドが勤めている。
 師、そして親代わりをする者としての言い分に、レリスは納得せざるを得なかった。
 そしてレリスは、机の端に積んであった、分厚い資料を手にとる。それは何枚にも渡って帝国軍兵士一人一人の名と情報が記されているものだ。

「彼の身の上は良くわかりましたが――」

 資料を数枚捲り、あるページに辿り着いたところで、その手を止める。

「全く、奇跡というべきか、難儀というべきか......何よりも私は、彼にとって重大な分岐点を作ってしまったようです」

 彼女が何を思って言っているのか、一瞬ガルドにはわからなかった。
 丁度その時、部屋に置かれた通信用の鉱石が光り、北の沖合で行われていた戦闘の、続報が届く。
 それを聞いて、ガルドは全てを理解し、大きく息を吐いた。 

――

 戦闘が終わってから数時間が経った。ノルヴは、シュピネー帝国軍沿岸基地の廊下を、一人歩いている。
 彼の表情は、普段よくしている寡黙そうなものではなく、疑念が渦巻き、なんだかパッとしない、といったものだった。
 そして、目的地の扉を開け、中に入る。
 彼が入ったのは、寝泊りをするための個室だった。
 ノルヴは、今後しばらく続くと予想される海上戦の為、沿岸基地にいるようにという命令を受けていた。そして個室が宛がわれたのだが、個室はそうそう数がなく、普段基地に居るもので埋まっているであろうものなのだ。しかし何故か開いていたその部屋を、ノルヴが使用してくれと頼まれたのだ。
 その時の指揮官の顔を思い出し、ノルヴは思わず苦笑を浮かべる。その男がノルヴを前にしていた表情は、あこがれる上官と対面した時のそれであり、階級で言えば自分より下の者に向けられるようなものではなかった。

「......そういえば、わざと昇格をしないという通告もされたな」

 一人きりで気が緩んだのか、思わず浮かんだ言葉を口に出すノルヴ。
 彼の持つ階級は、決して高いものではない。本来であれば、騎士長と一対一で話す事など敵わぬくらいに。だが、その実力故に、人を動かす階級に上げない方が得策であるという判断が下されているのだ。
 そんな他愛のない事を考えていると、不意に直前の戦闘で見た姿が思い出された。表情が一変し、何か重大な事を考えている風だ。

 彼の脳内では、遥か十年前の出来事が蘇っていた。