泡沫の龍騎士 4話
南の鉱山にある錬金術師の村、その山頂を挟んだ反対側には、山の傾斜が極端になだらかになった山中の平原がある。
そこにある村はシュピネー国最南端の村で、上空を頻繁に龍騎士が往来していた。
この村で育ったノルヴが龍騎士にあこがれたのは、当然ともいえる事だった。
「ちょ、ちょっとノルヴ、それどっかにやってよ......」
村外れの森の中、ノルヴに声をかける少年が居た。
ノルヴは、近くに居た蜘蛛を捕まえて、手の上を這わせている。少年の言うそれとは、その蜘蛛の事だ。
「何でこんなの怖がるんだよ。そんなにでかくねえじゃん」
少年の声に顔を上げたノルヴ。
少年、レアは近くの木に隠れるようにして立っている。
「だって、蜘蛛は蜘蛛じゃん......」
頑ななレアに、ノルヴは肩を竦めた。そして手に居る蜘蛛を地面に逃がす。
「これでいいだろ?」
そういうと、レアは木の影から出てきた。
「ノルヴは、家で蜘蛛一杯飼ってるから平気だけど、僕みたいな人もいっぱいいるからね」
彼の話し方は、常に気弱そうだ。
腑に落ちないといった顔をするノルヴ。
「そんなもんなのか? ってか、あーもう。父さんからもっと練習を増やせって言われてるの、思い出しちゃったじゃん」
そして、自分の黒い髪をわしゃわしゃと掻いた。
ノルヴの様子を見て、レアは苦笑する。
「蜘蛛糸を紡ぐのって、めっちゃ難しいからね......でもほら、この村の服の大半は、ノルヴの家で作られた糸からできてるんだから、頑張らないとじゃない?」
正論を突かれ、ノルヴは嫌そうに唸り声をあげた。
彼の家は、代々紡糸を生業としている。素材は蜘蛛の糸で、蜘蛛糸製糸は大陸でもっとも盛んな工業の一つだ。
その時、ノルヴはレアの腕に痣が出来ているのを見つけた。
レアに近寄り、腕をとる。
「レア、これ、またあいつらにやられたのか?」
聞かれたくない事を聞かれた、といった感じに、レアは苦々しい表情になった。
「う、うん、まあね。いつもみたいに、戦犯の家の奴だって」
レアの家は、錬金術師の家系である。分家であり、彼の両親は既に研究の類をしていない。
彼の言葉を聞き、ノルヴは憤慨した。
「何が戦犯だよ。別に戦争が続きなのは錬金術師のせいじゃねえし、レアにはそんなの関係ないだろ?」
「そうだけどさ......」
多くの錬金術師が孤立して村を作る最大の理由が、大衆からの批判である。全ての戦力の根幹にある火薬は、元々錬金術師らによって生み出されたものなのだ。そしてレアは、錬金術師への偏見の火の粉を被っている形だった。
レアの表情からは、諦念が見て取れる。
思わず、ノルヴは彼の肩を揺さぶった。
「俺がいるから。俺はそんな偏見持たないし、あんな奴らとは絶対に違う。できることならなんだってするから」
ノルヴの勢いに、レアは軽く圧倒される。
「あ、ありがとう。でもなんで?」
彼の問いに、ノルヴは肩を竦ませながら答えた。
「他の誰も得しないのに、ずるいこととか、悪いこととか、そういうのをする奴が嫌いなんだよ」
するとその時、地面に映る木漏れ日が一瞬影に飲まれて消える。上空を何かが通りすぎたのだ。
二人が上を見上げると、木の葉の間から、空高く飛ぶ龍の姿が見えた。
「すげえ、編隊組んでる! 丘まで行こうぜ」
龍の姿に目を輝かせたノルヴは、レアの手を引いて駆けだす。
何か言おうとしたレアだが、手を引かれ、言葉を出せなかった。
――
「――心配すんなって。俺と一緒なら怖いものなしだろ? 行こうぜ、帝国軍」
丘から高空を見上げ、ノルヴはレアにそういった。
彼らの目線の先を、九機の龍は悠然と飛び去って行く。
どこまでも青い空と、大きく広がる雲とが合わさり、彼らが見ている景色は、彼らの心を代弁するかのように輝いていた。
「う......うん」
答えるのに少し間が開いたが、レアははっきりとした意志を持って頷く。
ノルヴはそれを聞いて、満面の笑みを浮かべた。
「おいノルヴ! こんなところにいたのか!」
不意に、背後から声が聞こえる。
声が耳に入ったノルヴは、表情をこわばらせた後、心底面倒臭そうな顔になった。
「父さん......」
ゆっくりと振り返ると、そこに居たのはノルヴの父親。
「全く、手伝いをさぼって抜け出すなと何度言ったら......」
「はぁい」
最早慣れたやり取りであるのが、存分に察せられた。
そしてノルヴは、父親に腕を引っ張られつつ、レアに小さく手を振って丘を降りて行く。
後に残されたのは、レアただ一人。
吹き抜ける風が、彼の白い髪を撫でていった。
――
轟々と燃え盛る家々をノルヴが眺めていたのは、それから半日も経たない頃だった。
深夜、普段ならば家の明かりも消えて村は闇に包まれている時間だ。だが今夜は、炎によって村の隅々までもが赤く照らされている。
それは空襲だった。
そんな事が起こるなどと微塵も思っていない皆が、完全に寝静まったタイミングで起こったのだ。つい先ほどまで聞えていた複数の悲鳴は、もうすでに聞こえなくなっていた。
ノルヴは、目の前に広がる惨状を、呆然と眺めている。
「......ノ、ノルヴ......」
背後から怯え切った声が聞こえて、ノルヴは振り返った。
木の影からこちらを覗いているのは、レア。
二人とも、顔が煙や煤で薄汚れている。
「何があったの......?」
レアは、不安そうに聞いた。
だがそれに対し、ノルヴは首をふる。
「俺だってわかんねえよ......一斉に村に爆弾落とされて、こんな風に......村の皆、何人生き残ってるんだよ......」
そういう彼の声も、震えていた。
どこかの家の大きな柱が、一際大きく爆ぜる音を立てる。
次の瞬間二人の目に飛び込んできたのは、夜闇のような体色の、巨大な龍だった。
燃え盛る村と、ノルヴらが居る森の間の草原に、それは音を立てて降り立ったのだ。
突然現れた龍に、二人の表情が固まる。
炎に煌々と照らされた二人を、逆光でシルエットだけになった騎手はすぐに発見した。
龍が咆哮を上げ、二人の方を向く。
騎手が、両手に持った小銃で、二人を狙った。
直後鳴り響いた銃声と共に、ノルヴはレアの手を取って森へと走りこむ。
弾丸は、彼らのすぐ傍の木に当たった。
「ヤバい、完全に俺たちを殺しに来てる!」
走りながら、ノルヴは言う。
言い終わらない内に、二度目の銃声が聞こえた。それと同時に、木をなぎ倒す音も聞える。龍が森の中まで追ってきているようだ。
「ど、どうするの?」
ノルヴと共に走りながら、レアは焦りの表情を見せた。
「どうもこうも、今は逃げるしかできねえだろ!」
三つ目の銃声。しかし木が邪魔になっている為、運よく二人には当たらない。
二人は、森の奥へと走っていく。
「ねえ」
少し進んだところで、レアがノルヴに話しかけた。息が上がってきている。
「銃声、聞こえなくなってる」
その言葉に、ノルヴは足を止めた。荒い息のまま、周囲に耳を澄ます。しかし、龍が追ってくる気配すら感じられない。
「......何があったんだ?」
表情を強張らせながら呟くノルヴ。頬を汗が伝っている。
すると頭の上から、バサリ、という音が聞こえた。
ノルヴは、はっとしながら上空を見上げる。
繁る葉と夜闇に紛れて姿は見えないが、複数の龍が飛ぶ音が聞えてきていた。
「まずい......」
目を見張りながら、ノルヴが呟く。
二人がその場から動く暇を与えずに爆音が響き、周囲の木々が炎上し始めた。上空に居た龍が、発火性の爆弾を投下したのだ。
あっという間に炎は燃え広がり、二人の逃げ道をふさぐ。
「逃げられない......!」
炎に囲まれた中心に身を寄せ合いながら、レアが言った。
ノルヴも、焦った表情でぐるぐると周囲を見回している。
その時、バキバキと木の倒れる派手な音がした。
現れたのは、先程ノルヴらを追っていたらしい、黒龍。位置関係により、騎手の顔はやはり見えない。
龍の出現に、二人は息を飲む。
地を這い体内に響くような、重々しい低温で龍は唸った。顔を近づけ、まじまじと二人を見る。
二人の眼前には、龍の巨大な口が迫った。
一瞬恐怖で固まる二人。
しかし、ノルヴは何かを見つけると、意を決した顔でレアの耳へと口を寄せた。
「レア、龍の入ってきたところ、火が薄くなってるから、逃げられる! 俺は右から回り込むから、お前、左から.....」
早口で言ったが、レアにはしっかりと聞き取る。
二人は、危惧すべき最大の難関である目の前の巨大な龍と、その先にある唯一の脱出路を見据え、ひと呼吸おいてから走り出した。
突然二手に分かれたノルヴらに、龍も騎手もすぐに反応できなかった。狙い通り二人は龍の左右を抜け、駆けていく。
もう少しだ。と、ノルヴが思った瞬間、低く風を切る音が、彼の耳に届いた。
音のする方をみて、ノルヴは目を見張る。
龍の尾が、眼前に迫っていた。避けることなど、ノルヴには到底かなわない。
レアがノルヴの名を叫んだ時、彼は腹部に強烈な衝撃を受け、吹き飛んでいた。
そこで、完全にノルヴの意識は途絶える。
――
「その後目覚めたのは、当時南鉱山基地にいた師匠のところでした。師匠曰く、焼けた残骸の下に埋もれていたそうです。この傷も、その時......」
村の惨劇から十年後、錬金術師の村からの帰路で、ノルヴはそう言い、話を締めくくった。
彼が師匠と呼ぶ男は、現在軍の副騎士長を務めているガルドだ。
少し口を噤んでから、ノルヴは再び口を開く。
「それから先は、多分ご存知だと思います。師匠から訓練を受け、軍に入りました」
ずっと黙って話を聞いていたレリスは、悲しげな表情で眉を伏せた。
「十年前は、私もまだ軍の下級騎士でした。しかし南鉱山裏の村が一晩にして全滅したその事件は、よく覚えています。原因もわからず、他国からの奇襲にしてはその後の動きが一切ない。あまりの謎の多さに、軍どころか、国全体が大騒ぎしていました」
「......その真相は、俺にも皆目見当がつきません。龍は見たものの、その上に乗っている者は全くでしたし」
そして、二人とも黙り込む。
眼下には、街と山の間にある、広い草原地帯の景色が流れていった。
「レアという少年は、その後どうなったのか、全くわからないんですね?」
ふと、レリスがノルヴに尋ねる。
ノルヴは黙って頷いた後、歯噛みした。
「親も、親しい人も、あの日一辺に俺は無くしたんです。だからといって、他の国との戦争を憎むわけではないですが、一刻も早く、この争いが終わって欲しい。そして俺は、人を守れる騎士になりたい。師匠に戦いを教わり始めてからずっと、俺はそう思っています。俺は運よく師匠に助けられましたが、師匠も他の誰も見つける事は出来なかったと言っていました。レアも、きっと......」
思わず、右目の火傷跡に触るノルヴ。
「話してもらって、ありがとうございます」
レリスは、そういって話を終わらせた。
――
最後に自分の過去を語ったところまでを思い出し、ノルヴの意識は現在へと戻ってきた。
思わず体の後ろに手をつき、天井を仰いだ。
そして、長く息を吐く。
「......何してきたんだろうな、俺」
彼の声を聞く者は、誰もいなかった。