泡沫の龍騎士 7話

「あの、騎士長」

 後ろからレリスを呼ぶ声が聞こえた。
 振り返ると、先ほど別れたばかりのアドウェルが立っている。

「まだ何か?」

 少々素っ気ない口調になってしまうレリス。
 だがアドウェルは、全く気にする様子がない。

「貴方は、何故あの男に目をかけるのですか? 年端の行かない、経験も浅い若造だというのに」

 彼の目は、至って真剣だった。
 そして、彼の言っている事は、彼が常日頃から思っていることだ。アドウェルは、十歳近くノルヴより年上である。それだけ従軍期間も長い。しかし現在、軍での彼の扱いはノルヴと同等、あるいはそれよりも少し下だった。先の奇襲攻撃も、アドウェルが任されたのはアドリア国が占領している地域への侵攻。ノルヴが任された、敵戦力に大打撃を与える目的のマルガリトム港奇襲と比べると、やはり格差を感じえなかった。

「私は、何よりも作戦遂行の可能性を高める為の人選をしています。誰に目をかけている、かけていないということではなく、ただノルヴの能力を見て決めているのです」

「......そうですか」

 言いたい事は、それだけのようだったアドウェル。
 レリスは、彼に背を向けて歩き出す。

「やはり貴方は......」

 アドウェルは、ホルスターに手を伸ばした。 

――

「......そうか、わかった」

 だだっ広い訓練場に、一人佇むガルドは、そういって通信を切った。彼は、今までにないほど無表情で、何かを諦観しているようだ。通信の内容を頭の中で反芻し、深く息を吐く。

「隠しきれるものでもないな......」

 ぼそりと呟いた。
 同時に、勢いよく扉が開かれる音と、誰かが駆けこんでくる音がする。

「ししょ......いや、ガルド!」

 普段の無表情さは失せ、怒り一色で塗りつぶされた声が木霊した。
 自分の背後から投げかけられた声の方向を、ガルドはゆっくりと振り返る。
 言うまでもなく、そこに居たのはノルヴだった。

「沿岸基地で、移住者のリストを見た。そこにお前の名前が載っていた。しかも、出身は錬金術師の村となっている。どういうことだ!」

 ノルヴは、ガルドを睨みつける。その目は怒りに燃えているが、根底には激しい狼狽があった。
 自分に詰め寄ってくるノルヴを、ガルドは無表情な目で見つめる。

「俺と出会う前、お前はどこで何をしてたんだ。全て話せ! ......お前が密偵なのか?」

 ガルドの襟をつかむノルヴ。彼がここまで熱くなるのは滅多にない。
 暫くノルヴの顔を見つめた後、ガルドはゆっくりと口を開く。

「俺は、十年前に錬金術師の村を襲った。そして、彼らを使ってこの国へ侵入した」

 はっきりと言い切った。
 言葉を聞いた瞬間、ノルヴはホルスターから銃を取り出し、ガルドの眉間に向ける。

「お前は、十年間俺を騙していたんだな?」

「そう思うのは勝手だが、俺は密偵ではないぞ?」

「......どういうことだ」

「だから、錬金術師の村を襲ったのは俺だ。だが俺は密偵ではない。そして密偵は居る」

 回りくどい言い回しをするガルドに、ノルヴは眉をひそめた。
 ガルドは溜息をつくと、ノルヴの銃口の前を離れ、壁際に歩いていく。

「これは、俺一人の問題だった。だから俺一人で解決しようと決めてたんだ......」

 そこまで言うと、ガルドは一瞬次の言葉を溜めた。

「お前に、俺の生い立ちを語ろう」

――

「俺は、アドリア国大臣家に生まれた。興味はなかったが、古くからある家らしい。そして俺には一人兄がいた。つまり、家と父の役職を継ぐのは俺じゃなかったんだ。将来を選べた俺は、軍に入った」

 静かに語り始めるガルド。
 何も言わずに、ノルヴは耳を傾けた。

「軍人は俺の性に合っていたらしい。そこで俺は活躍した。丁度今のお前のようにな。だがそんなとき、事件が起こった。俺の父親と兄が、処刑されたんだ」

「処刑?」

「ああ。俺はあの国の政治には興味なかったから、何があったのかはよくわからない。だがどうやら、政敵に嵌められたようだった。反乱を企てているというデマが流されていたようだった。既に母は死んでいたから、俺が一族で最後の一人になった。あとはわかるな?」

 話を振られ、ノルヴは暫し考え込む。

「命を、狙われた?」

 ガルドは頷いた。

「そうだ。だから俺は、非合法な手段で国を出て、この国に逃げ込むしかなかったんだ。国外に逃げ込めるとするのなら、当時アドリアと友好的な関係を築いていたシュピネーだけ。そして、友好的故に、誰にも素性を明かすことはできなかった」

 彼の話は、そこで終わる。
 ノルヴは、その話を信用すべきかどうかを決められなかった。
 それを見抜いたのか、ガルドはニヤリと笑う。

「考えてもみろ、どうして他国に潜入した密偵が、その国随一とうたわれる兵を育てなければいけない? その兵は、俺の故郷に宣戦布告の奇襲作戦を仕掛けもしたんだぞ?」

 押し黙るノルヴ。

「だったら」

 彼が口を開いたのは、たっぷり時間を置いてからだった。

「だったら、どうしてそれを誰にも言わなかったんだ? 友好国だったのは過去の話。騎士長含め、師匠の話をわかってくれる人は大勢いただろ?」

「あの国が、俺を野放しにしておくとは思えない。何年経とうが、絶対に俺を殺そうとしている筈だ。そして恐らく、俺がこの国に入った事は既にばれている。確証はないが、な。だから俺は誰にも言わなかった」

 彼の言葉に、ノルヴは力なく座り込んだ。
 深く息を吐き、自分の頭を掻きまわす。

「だったら、慌ててた自分が馬鹿みたいだ......紙切れ一つで、師匠を疑ったことになる」

 ノルヴに目線を合わせる為か、ガルドも床に座った。

「まあ、そうなるよな。悪かったな、リスクを避けるためには、知ってる人は極力少ないほうが良かった」

 そして、二人は黙り込んだ。
 少しして、はっと顔を上げるノルヴ。

「そうだ。本当の密偵は、別にいるんだよな?」

「居る。つい数秒前まで半信半疑だったが......お前、俺を疑ったのは、あっちの資料室で移住者のリストを見たからだと言ったな?」

「あ、ああ」

 自分の問いに対するノルヴの返答を聞いて、ガルドは眼光を鋭くした。

「俺が錬金術師の村から王都に入ったとき、俺は自分の出身を錬金術師の村とは言わなかった」

 それを聞いて、ノルヴは瞠目する。

「その資料、本当に正式なものなのか、確かめたほうがよさそうだぞ」

 顔に影を落としながら言うガルド。
 ノルヴは立ち上がり、訓練場の外へと出ていった。

 その瞬間だった。すぐ近くの場所で、銃声が鳴り響いたのだ。

――

「西鉱山基地......ですか」

 長官の言葉を聞き、レアはそう返す。
 彼はミストをリーダーとする隊の仲間らと共に、数日の後に決行される予定の大規模な戦闘に参加することを告げられたのだ。
 勿論、ノルヴらの身に起こっていること、軍の上層部で動いている話は、知る由もない。

「君らの隊含め四隊はそちらに移ってもらう。西鉱山基地が、来る戦闘の拠点となる。本部からも兵が集められる予定だ」

 淡々と伝達要項を伝えていく長官。
 そしてそのまま解散となった。

「ねえねえ、聞いたかい、レア? 本部との合同だってぇ。もしかしたら、あの英雄さんも参加するかもよ?」

 解散後すぐに、ミストが話しかけてくる。
 彼の言葉に、レアは肩を震わせた。
 レアにとって、ノルヴは恩人であり、唯一の親友だった。火薬を生み出した錬金術師の家系に生まれ、それ故に迫害を受けてきたレアに対して、ただ一人、家系や環境による偏見を持たない目を向けてくれたのがノルヴなのだ。その親友が、生きていた、ということは、レアにとってこれ以上ない喜びであるはずである。だが、レアはそれを手放しで喜ぶことが出来なかった。
 それが、彼をおいて一人で逃げてしまったという負い目からか、十年という長い年月の間ににできた、立場的、実力的、環境的な差と、互いの変化を感じているからなのか、本人にすらわからないのだ。
 微妙な表情をするレアに、ミストは呆れたような顔を向ける。

「ちょっとぉ、いい加減手放しで喜んでもいいんじゃないの? なんか、昔の事引きずってるみたいで、かっこ悪いよ?」

「......そうかもしれない。でもやっぱり、僕よりもノルヴのほうが気まずく思ってるんだろうなって」

「どうして?」

「ノルヴは、優しいからさ......噂や、ミストの話を聞くと、十年前とはずいぶん変わっちゃってるみたいだけど、その優しさは絶対に変わってない。僕が、友達を捨てて逃げなきゃいけないような状況に追い込まれたのは、自分のせいだって思ってると思う。だから、多分、ノルヴは僕に罪悪感を抱いちゃってる」

「そんなの、実際合って、話を聞いてみなきゃわからないじゃん」

「それもそうだけど......多分ノルヴは......」

 ――今でも、僕を守ろうとしてるのかもしれない。

 その言葉を、レアは口に出さなかった。

 二人は、龍が普段繋がれている龍舎に到着する。彼らの姿が見えた瞬間、素早い動きで立ち上がる龍が二匹。レアとミストの龍だ。
 彼らは一旦別れ、それぞれの龍の元へ向かった。
 レアが乗っているの龍は、赤色で、少し小型。龍は騎手の性格と似るというジンクスがあるが、それに倣って少々大人しい性格をしている。無論飛翔速度が抜きんでているのが赤龍の特徴であるので、戦闘時の機敏な動きからはあまり想像できないのだが。
 龍は、低く喉を鳴らし、レアに頬をすり合わせるようにして甘えてきた。
 軽く微笑みながら、鱗に覆われた固い首をポンポンと叩くレア。彼は数歩下がると、腰に巻いたベルト付きポーチから赤い鉱石を取り出し、龍に向かって投げる。放物線を描くそれを、龍は首を上に振ってキャッチした。
 目を細めてそれを咀嚼する龍を眺めた後、レアは自分の右手に視線を移す。

「まさか、君の言う通り本当に龍騎士をやることになるとは思わなかったよ」

 その手には、刃物で皮膚を切った傷後が残っていた。この傷跡は、場所や大きさは違えど、龍騎士全員が持っているものだ。自らの血と、特別な鉱石、この二つを用いて騎士は龍と契約を結ぶ。それにより、龍騎士と龍は意志の疎通を可能とするのだ。意志の疎通といっても、龍と言葉を交わしたりすることはできない。彼らが自分の意のままに龍を操る事が出来、また龍の状態を、直感的に把握することができるようになるのだ。

 暫くの間自分の手と龍を眺めていたレアは、無理やり感傷から自分を呼び戻した。
 龍の手綱を持ち、外へと向かう。