泡沫の龍騎士 12話

「あー......疲れた......」

 地面に降り立つや否や、ミストは地面に倒れこんだ。目の前には、彼の部下数名が立っている。

「無事に戻られて何よりです」

 部下の内の一人が、感極まった声をミストに掛けた。勿論ミストはそんな雰囲気など無視して、ぐったりと地面にうつ伏せになっている。

「全く、攻撃を受けた時はどうなることかと思ったよ......レアが落とされて動揺してたんだなあきっと」

 彼もまた、先の戦闘で敵の攻撃を受けていた。龍は行動不能の深手を負い、数日たった今やっと戻れてきたのだ。

「あ、そのレアなんですが......」

 ミストの言葉で、部下はレア生還の報告を思い出す。ミストに伝えると、彼の顔は一気に明るくなった。ガバリと立ち上がると、報告を告げた部下に掴みかかる。

「本当?! 本当なの?!」

 襟を掴まれながら、部下の男は頷いた。
 するとミストは奇声を上げ、全てを放り出して基地へと突撃していく。
 部下たちは引き留めようとするが、徒労に終わってしまった。

「......帰ってきたのか」

 呆然と基地の入口を見つめる部下たちの背後から、突然声が聞こえる。
 直前まで気配すら感じられなかったために、彼らは皆肩を震わせた。振り返ると、そこにはノルヴが立っていた。
 突然の英雄登場に、皆たじろぐ。

「ノ、ノルヴさん。どうしてここに......」

 ミストの部下の一人が彼に聞いた。
 ノルヴがレアと共に基地に帰還したのは、三日前の事だった。その時は戦闘から丸一昼夜経過したところだったので、ミストが帰還したのは戦闘から四日後ということになる。
 彼はどうやらミストに見つからない、物陰に隠れていたらしかった。

「あの男に用があったんだ。それと、あの人を出迎えに、な」

 そう言いつつ、ノルヴは空を振り仰いだ。
 他の者も、同様にする。
 彼らは、一匹の龍がこちらに向かってくるのを見た。
 龍の色は紫。風と土埃をたてながら着地する。
 乗っていたのは、副騎士長ガルドだった。

「ふ、副騎士長!」

 慌てて敬礼をするミストの部下達。
 ノルヴは龍から降りてきたガルドに駆け寄る。

「師匠、今さっき帰着していました」

「わかった」

 短い言葉を交わす二人の表情は、かなり険しい。そしてそのまま、二人は基地の中に入っていく。
 残された一兵卒数名は、何が起こっているのかをさっぱり理解できなかった。

――

「レア! 生きてたんだね!」

 訓練場にて、レアを見つけたミストは彼に抱き着く。あまりの勢いに、レアの口から蛙がつぶれたような声が漏れた。

「ちょ、ちょっとミスト......」

 涙目の顔を自分に押し付けているミストに、レアは困惑している。

「部下の君が死んだら僕の責任でしょぉ? 親友の死を一生引きずるのかあってすっごく絶望的な気分だったんだよ?」

 最早親に甘える子供だ。
 こうなったら暫くは離れてくれないだろうと、レアは無理やり彼を引き剥がしにかかった。腕力がそこまで強くない為、彼は少々手間取りつつも、なんとかミストを押しのけることに成功する。

「ミストこそ、生きててよかったよ。僕の後で落とされたって聞いてたから......」

 話された勢いで床に転がったミストに、今度はレアが話を切り出した。
 あまりに俊敏な動きで、ミストは体勢を立て直す。

「そうなんだよ! 龍が対龍弾でやられちゃってさあ。回復を待ってここまで戻ってくるのがどれだけ大変だったか......そういえば、君はよくこんなに早く戻ってこれたねえ?」

「ノルヴが、助けてくれたんだよ」

「英雄くんが?!」

 久しぶりに人と話すからなのか、ミストは異様にテンションが高い。
 あまり突っ込んでほしくない事を聞かれたレアだが、巧く受け流すことに成功したようだ。そして、レアは自分が落とされて以降の事を、嘘を交えて説明しようとした。

 しかし、それは小銃を構える音によって中断させられる。

 自分の背後から聞こえた音に、レアは驚いて振り返った。

 そこに立っていたのは、ノルヴだった。銃口は、床に座るミストの額を捕らえている。

「うぜえ、いい加減口閉じろ」

 嫌悪感丸出しの言葉を、彼はミストにぶつけた。

「ノルヴ、何を......」

 何が起きているのかわからないレアが言った直後、部屋の外から誰かの足音が聞こえてくる。
 入ってきたのは、副騎士長ガルド。

「巧妙な嘘は真実になる......か、巧く嵌めるのに成功していたようだな、ミスト」

 低く、威圧感のある声で、ガルドは語る。
 言葉の間に、ノルヴはミストの背後に回った。銃口を彼の頭に密着させる。
 そして言った。

密偵は、お前だな」

――

密偵って、どういうこと? 何があったの?」

 密偵と名指しされているミストを覗くと、この場で密偵の事を知らないのはレアだけだ。当然の如く、混乱している。

「お前がレアだな? 俺の弟子の親友、であってるな」

 ガルドがレアに聞いた。
 彼は頷く。

「こいつの正体を暴くんだ、お前も知っておいたほうがいいだろう......十年前、この国に密偵が侵入した」

 状況の説明を始めたガルド。その後をノルヴが引き継ぐ。

「俺が別の用で騎士長と南鉱山の錬金術村に訪れた時に発覚したんだ。十年前――俺とお前が離れ離れになる少し前――に、その村で男が立てこもり事件を起こした。その要求が、この国への潜入の補助だった」

 ノルヴに銃口を向けられているミストは、抵抗一つせずにじっと話を聞いていた。

「つ、つまりそれが密偵、ミストだと?」

 レアが言う。
 それを否定したのはガルドだった。

「その真犯人は俺だ。俺は元々アドリア国の大臣家の子なんだが、覇権争いの延長で家族もろとも処刑されることになりかけた。だから術師の村を襲撃してまでこの国に入ったんだ。だがな、俺が独自に確保していた情報網に、俺の命を狙った密偵が、俺とあまり変わらない時期にこの国に入った可能性があるという情報が入った。それがそいつだ」

「アドリアが俺とレアの村を襲撃したのは、お前を潜入させるためだったんじゃないのか? 村一つが壊滅すれば、その村に誰がいたのかまるでわからなくなる。村の住人だった俺たちでさえ、村人全員を覚えていたかどうかは怪しい。だが流石に狭い村で、一度も顔を見た事がないのは違和感を覚える。だから『村から離れた森の中で暮らしていた』と言ったんだろ? それにだ」

 一旦言葉を切るノルヴ。
 彼の顔を、ミストは見上げた。

「お前、どうしてあの事件がアドリア国軍によって起こされたと知っていたんだ? 湾岸基地の資料室で、お前、俺に言ったよな?」

「あの襲撃は、あまりにも不可解過ぎてまだ首謀した国を断定でいていない。更に言うと、当時シュピネーとアドリアは友好国だった。黒幕を断定的に言えるのは、密偵本人だけだろう」

 ノルヴとガルドは、畳みかける。
 話が終わると、ミストは嘲笑した。

「口滑らせてさえいなかったら、バレてなかったってことだよねえ? 疑いくらいはかかってたかもしんないけど」

「ミスト、本当に......?」

 説明を聞いても信じられない、といった様子で、レアはぼそりと言う。
 そんな彼に、ミストは視線を向けた。

「そうだよ。俺っちはアドリア国特命潜入部隊隊員だ......ちょっと英雄くんいいかい?」

 突然ノルヴに話を振ったミスト。
 警戒したノルヴは改めて銃口を突き付ける。
 それを見て、ミストは両手を上げた。

「ちょっとちょっと、こんな状況で反撃なんかしないって。勝機の無い行動は嫌いなんだよぉ?」

「黙れ、銃口突き付けられて、はいそうですかとお縄になる密偵がどこにいる」

 ノルヴから敵意むき出しの視線を浴びて、ミストは皮肉っぽく溜息をつく。

「俺っちは手をふれないし、動かないから、ホルスターごと銃を外してよ。それでいいでしょ?」

 彼の言葉を聞き、ノルヴは彼の銃を奪った。勿論、警戒は最大限保ったままだ。

「とりあえず、洗いざらい話してもらおうか」

 ミストの銃を放りながら、ノルヴは冷淡に言う。

「分かってる。俺っちは、君たちが突き止めたように南鉱山裏一帯が炎上する騒ぎに乗じて、この国に入ったんだ。その時レアを助けたわけだけど......まあ、正直に言えば『それっぽさ』の為に偶然見かけた子を助けただけだったんだ」

 その発言を聞き、チラリとレアの表情を伺うノルヴ。
 レアは、衝撃に体を貫かれた様相で、棒立ちになっていた。

「で、その目的は処刑と国から逃げた男、ガルドを殺害することだった。勿論俺っちも無能じゃないから、あんたの居所はすぐに突き止めたよ? でも随分と巧く警戒網を張られてたから、中々近づけなかった。仕方がないから、レアを引き連れて軍に入ったんだ。それから先はまあ、レアも知ってるし、話す必要はないかなあ。諜報じゃなく抹殺が目的だったから、この国の情報は一切流してないよ。信じるかどうかは別だけどね」

「だとすれば、何故軍に入って以降の十年間、俺に手を出さなかった? お前は、その素振りすら見せなかっただろ」

 ごもっともな疑問を、ガルドが投げかける。いくら警戒されていたとはいえ、十年間で一度も隙がないなどということはありえない筈だ。ガルドは何度も実戦に繰り出している上、恐らくミストらと同じ戦場に立ったこともある。ガルドは十年で副騎士長という高位に上り詰めていたが、そうなると警戒以前の問題で、近づくことも難しくなってしまう。
 そんなことはわかっている、と言った風に、ミストは肩を竦めてみせた。

「何でだろうねぇ。国から何度も何度も催促されてたけど、その気になれなかった、って感じなんだよなあ。多分......」

 一旦言葉を切ると、彼はレアの方を向く。

「あんまり才能ないけど、誰かの為になりたいっていう人一倍強い意志がある誰かさんを、いつの間にか放っておけなくなったから、じゃないかなあ」

 驚いたような表情になるレア。

 その時だった――

泡沫の龍騎士 13話

 銃声が鳴り響いた。
 先ほどまで誰もいなかった筈の、訓練場入口からだ。
 同時に、アルドがよろける。

 皆が入口の方を見ると、そこに立っていたのは――

「アドウェル?」

 驚愕の声で、ノルヴがその男の名を呼んだ。
 アドウェルは、煙立ち昇る銃口をこちらに向けている。撃たれたのはガルドのようだった。

「......また防弾服か。今度は頭を狙わねえと」

 出血も何もしないガルドを見て、舌打ちするアドウェル。

「お前! 牢にいた筈だろう!」

 ノルヴは叫んだ。
 彼が捕らえられていたのは、南方にある帝国軍本部地下にある牢だ。つまり、そこから抜け出してこの基地まで来た、ということになる。

「俺は『有能』なんだよ。あれしきの牢と監視を抜けるなんて造作もねえ。才能だけの男を持ち上げるような、そんな能無し軍なんてなあ」

 服に穴をあけられたガルドが、アドウェルを睨みつけた。

「なるほど、だからあの時――俺と騎士長が資料室に居た時――、お前は資料室に来たんだな? ノルヴの居所を聞いて誤魔化したようだが、あんときお前、偽の資料を置きに来たんじゃねえか? お前はノルヴがみたアレはミストが持ち込んだものだってのはすぐわかったが、それを本物だと思わせる為には、本部にも同様の資料が無ければいけなかった。だが情報の伝達が遅れてしまった」

 彼の話に、ミストが溜息をつく。

「全く、流石に計画が雑過ぎたよ。本国からの催促が最早脅迫に変わって、だったら殺さないまでも、永久投獄にでもなればいいかななんて思ってやったことだったけど」

 それを聞き、アドウェルの表情が一変した。ミストに激しい怒りを向けている。

「おい、それどういう意味だ。そんなのに俺を巻き込んだのか?」

 信用を無くしていたとはいえ国を裏切らせるような行為をさせた男の本心が、そんな緩いものだと知り失望したらしい。
 するとミストは、調子づいたように笑みを浮かべた。

「おおっ? 嫉妬心の為に呆気なく母国を捨てるような『尻軽軍人』が、使い捨てにされて怒るの?」

 その挑発に、アドウェルの銃口が向きを変える。先程までノルヴに向けられていたそれが、ミストの頭部に狙いをつけられた。

 直後に銃声。

 そして訪れる静寂。

 アドウェルの銃が、床に落ちる音がした。

「......てめえ!」

 銃を持っていた右手を抑えながら、アドウェルがノルヴを睨みつける。
 ノルヴの持つ銃から、硝煙があがっていた。

「何屑みてえなことしてんだ、この屑」

 彼は、アドウェルを睥睨している。
 それを聞き、アドウェルは額に青筋を浮かべた。

「全部てめえが原因なんだぞノルヴ! 才能に現を抜かし、軍の長に取り入り、俺のような真の実力者から目を背けさせた! てめえのようなのがいると軍は弱くなる。だから――」

「言ってることが意味わかんねえし、うるせえから黙れよ。不必要にぎゃあぎゃあ喚く奴は軍にはいらない。敵国でもどこでも勝手に行け、目障りだ」

 話を中断させたノルヴ。
 アドウェルは、彼に近づくと胸倉をつかんだ。しかし言葉が出ないのか、凶悪な様相で彼を見るだけである。
 一方のノルヴも、侮蔑の目でアドウェルを見下していた。
 すると突然、横からの衝撃が二人の身体に走る。
 ガルドが、横からアドウェルを蹴り飛ばしたのだ。
 胸倉を掴まれていたせいで、ノルヴは一瞬よろける。
 数メートル飛ばされるアドウェル。彼はミストのすぐ傍に転がった。

「国内に他国の兵が二人も入り込んでるんだ、拿捕しないわけないだろう。てめえには何言っても無駄なようだから、俺もノルヴも、もう何も言わない」

 ガルドが言う。
 体を起こしたアドウェルは、諦めたような目になっていた。

「だとしたら、俺は好きなようにさせてもらうぞ......」

 その言葉に不穏なものを感じたノルヴが、アドウェルを捕らえようとする。
 しかし一足遅かった。
 アドウェルが、隠し持っていた発煙筒に火をつける。
 勢いよく噴き出した煙が、一瞬で皆の視界を奪った。
 逃亡阻止のためにガルドやノルヴが叫び声をあげるが、彼を捕まえることはできない。

 唐突に、室内に風が入り込んだ。煙が一気に晴れる。
 床から数メートルのところにある窓が、開け放たれたのだ。
 窓枠に足をかけているのは、アドウェルではなくミストだった。

「お前!」

 ノルヴが怒鳴る。
める。
「ごめんよぉ、俺っちは別に大人しくしてても良かったんだけど、こうなった以上アドリア側に戻るしかないっぽいんだよ。こっちにも色々事情があるからさあ。だからさあ――」

 ミストはノルヴの方を向き、口角を釣り上げた。

「今度の戦闘で、君と俺っちとで一戦交えようよ。これは完全に俺っちの勝手な行動だけど、ここ数日で君にすごく興味が湧いた。だからこの国の情報をかけて決闘っぽいことしてみよう? 君が勝ったら俺っちは潔く死ぬし、君が負けるか、戦いを放棄したら俺っちはこの国で得た情報の全てをアドリアに開示する。どう? 十年もの間君の親友を騙し続け、そしてそれと同じくらいの期間君の恩人の命を狙い続けた俺っちに、一矢報いるようなことしてみてよ」

 突然の提案だ。そして言い終えるとすぐに、ミストらは窓の外へと飛び出した。すぐに追いかけるべきなのだろうが、龍の羽ばたく音が聞こえた為に、それを諦めざるを得なくなってしまう。彼らが今居る西鉱山基地は、アドリア国との国境も近い、下手に戦闘は起こせなかった。
 窓を睨みつけるノルヴ。その目は真剣そのものだ。

「なあ、レア」

 彼はミストから目を離さぬまま、低い声で言った。
 呆然と成り行きを見守る事しかしていなかったレアは、虚を突かれたような反応をする。

「お前は、どうして欲しい? 俺があいつの話を飲んだら、俺はあいつを殺すことになる」

「それは......う、受けなきゃ駄目だよ。その、ノルヴがミストを止めなきゃ、この国の情報が流されるんでしょ? だったら――」

 いつにも増して気弱そうな表情になるレア。
 その言葉を、ノルヴは遮った。

「んなことを聞きたいからお前に質問したんじゃない。お前本人は、どうして欲しいんだ......?」

 はっとした表情になるレア。
 そして、たっぷり十数秒、下を向いて悩んだ。

「......僕は、ミストに死んで欲しくない。でも、でも僕は龍騎士だ。他国との戦いに、私情を持ち込む訳にはいかないよ。ミストか国か、どちらかを選ばなきゃいけないなら......」

 レアは、きっぱりとノルヴの目を見つめる。

「お願いだ、ノルヴ、国を守って欲しい」

――

「......はい、わかりました」

 沈んだ声で通信装置に返事をするレリス。相手は、言うまでもなくノルヴだ。

「落ち込むのは後にしてください。兎に角、アドウェルの件も、ミストの件も、俺が何とかします。不本意ながら、そのどちらにも関わっているようなので」

 彼女の反応を予知していたノルヴが、口早に言った。アドウェル脱走は、本部に居たレリスの失態となるのは当然だ。
 ノルヴが伝えたのは、西鉱山基地内部で起こった出来事全てと、真相だった。

「それと、これは師匠にも、それ以外の誰にも絶対に公言してほしくないことなんですが......」

 話を続けるノルヴの奇妙な念押しに、思わず疑問符を浮かべるレリス。
 彼は、洞窟でレアと共に見聞きしたものの一切を、レリスに伝えた。秘匿の約束は言い過ぎな程に何度も言う。
 話が終わると、レリスは暫しの間沈黙した。無論彼女も阿保ではない。白龍やノルヴが秘匿を望む理由は直ぐに理解していた。

「そんなものが、本当に存在していたのですか......」

 その言葉は、疑問形ではない。

「ええ。俺は凄惨な殺戮劇も、そんなので勝ち取る勝利も好きではないので、これを利用することは望みません。しかし話の重要さ故、貴方には伝えておくべきだという判断をしました」

「......当然の判断でしょう。私も、殺戮や不条理な兵器は好きではありません。我が国が白龍に対して動くことはない、ということにしておきます。問題は、そんなものをもしどこかの国が手に入れてしまったらということですが」

「その時は、そうなるものだったと受け取るしかないでしょうね」

 そんなやり取りをした後、レリスは通信を切ろうとする。
 しかし、ノルヴがそれを引き留めた。
 要件を聞こうとするレリスだが、ノルヴは言い渋っている様子だ。

「どうしたんですか?」

 再び聞く。
 するとノルヴは言った。

「次の戦いが終わったら――」

泡沫の龍騎士 14話

 龍舎の中で、ノルヴは一人佇んでいた。
 彼の目の前にいるのは、彼と幾度も戦いを共にしてきた黒龍。先程ノルヴがやった石を咀嚼している。

「この数週間、色々ありすぎたよなあ」

 思わず独白が口から洩れた。
 戦闘開始一時間前、準備も終え、あとは出発を残すのみ、といった状況だ。今回の戦闘は、前回ほど大規模なものではない。戦力は五騎編成で、敵の仮拠点を襲撃する、といったものだった。目標の仮拠点は、ミストとアドウェルが姿を晦ました西鉱山基地から最も近い場所にあるものだ。つまりそれだけ、二人が潜伏している可能性も高かった。

「隊長、そろそろ」

 龍舎内に入ってきた兵が、ノルヴに言う。
 短く返事をすると、彼は龍を連れて外に出た。

 広い離着陸場に、龍が四騎。その中には、レアの姿もある。この襲撃は本部が主体となっているため、沿岸基地の者が参加することはまずない。しかし今回は、特例、といった奴だった。

「本当に、いいんだな」

 出発直前、ノルヴはレアに聞く。
 レアは、あまり浮かない表情ではあるが、確かな意志をもって頷いた。

 戦闘前とは思えない程、酷く哀愁を伴った龍達が、一斉に飛びたつ。空は果てがないくらいに青く広がり、所々に雲が浮いていた。
 動くものが一つも無くなった広い更地には、泡沫のような小さい花が二本、風に揺れている。

――

 戦闘場所は、矢張り森の上空だった。ノルヴ達が白龍と出会った洞窟のある森とよく似ているが、別の場所だ。このような森は、大陸内に複数個所ある。
 アドリア国軍の龍の数は、シュピネー帝国軍と同数の四機。各々が一対一になる形で戦闘が進行していた。
 通常の兵であれば、一回の戦闘で平均して二匹、ノルヴが撃墜するのだが、今回は違った。言うまでもなく、姿を現したミストの相手をしていたからだ。彼はやはり手練れらしく、決着がすぐにつく気配はなさそうだった。

「聞えるー?」

 ミストの龍を追うノルヴの耳に、突然声が聞こえる。通信装置を介しての声だ。

「お前! 何故通信ができる!」

 咄嗟に怒鳴るノルヴ。通信装置は、事前に紐づけされた石同士のみでしか通信は不可能であるので、国を出て以降ミストにそんな細工をできる筈がなかった。

「君のに通信できる奴を一つくすねてただけだよぉ。ふふ、ちゃんと受けてくれたんだねぇ」

 変わらない口調で話すミスト。
 やはり癪に障るらしい、ノルヴは旋回すると発砲した。
 しかし、その行動をミストは想定済みだったのか、避けられてしまう。
 旋回を終了するとすぐに、ミストは一気に急上昇する。高度が上がり、全体が上下逆さまになっていた。ノルヴの上方にいる位置関係のまま、連続で攻撃をする。
 その機動の間に、ノルヴは旋回し軌道を右に反らしていた。
 自分の機動が読まれたことに、軽く歯噛みするミスト。

「流石だね」

「お互いさまだろ」

 短くやり取りした後、ノルヴをミストが追う形になった。
 通常の弾を、ミストは連続で撃つ。
 左右上下、細かく動いて、それをいなすノルヴ。
 その時、飛来した弾の一発が、彼の背中に当たった。

「......ほう、騎龍戦用の弾でも防ぐんだ、その防弾服。凄いねぇ」

 感心したような声が、通信機器から聞こえてくる。

「交配云々は俺が口出しした。この国で作れる、最強の繊維だ」

「なるほど、糸職人の知識も伊達じゃないってことか」

 そして高度を下げるノルヴ。
 同時に急旋回し、ミストの下側に回った。
 ミストの龍の腹が狙える位置に来た瞬間、二発対龍弾を発射する。
 空中を転がるように回転し、弾を避けたミストは、その回転を保ったまま高度を下げ、ノルヴの横に並んだ。彼の表情は、いかにも戦闘を楽しんでいる、といったものだった。
 それを見て、ノルヴは舌打ちする。

「楽しんでんじゃねえぞおい。俺は遊んでるんじゃねえんだ」

 言いながら、更に発砲。
 一瞬速度を下げてそれを避けたミストは、笑い声を上げる。

「じゃあさっさと終わらせてみてよ」

 半ば彼の煽りに乗るような形で、ノルヴは攻撃をした。

――

「ノルヴ......ミスト......」

 自分も戦闘中の身でありながら、レアの意識は完全に二人の方へと向けられていた。
 先程から数回危ない目にあっているのだが、本人はそんなことにすら構っていられないようだ。
 レアは、言いようのない気分を味わっていた。自分の命を救った男と、古くからの親友が、目の前で争っている。しかも、恩人は今や敵軍に所属する猛者なのだ。先日西鉱山基地でミストが正体を現して以降、彼はどことなく無関係の者であるような立ち位置に立たされていた。しかし実際は、一連の事件に関わる人間の最も中枢にいる。傍から見ていなければいけない状況に、歯がゆい思いをしていた。

 それでだけではなく、彼の顔には根拠のない焦燥が浮かんでいるのだが――

 ふと気づくと、隊列を崩しそうになっている。先程からこれの繰り返しだ。
 慌てて龍の向きを調整した。
 連続した発砲音を聞いて、レアはノルヴ達に視線を戻す。勿論、隊列への集中も切らしていない。
 先ほどノルヴは、相対しているミストと何か話をしているように見えた。見えた、といっても、そうとでも考えなければというほど、互いの攻撃の感覚が長かったからという話なのだが。
 それが今度は互いに激しく打ち合っている。話が終わった、ということなのだろうか。

「......ア、レア! 聞こえるか!」

 突然通信装置から声が聞こえた。

「の、ノルヴ? どうしたの、戦闘中でしょ?」

 思わず驚愕の声を出すレア。
 それと同時に、彼の元にも敵からの攻撃が飛来する。
 慌ててそれを避け、逡巡したレアは突然隊列から抜けた。他の者が戸惑う気配がするが、混戦に突入してしまった為に事情を聴く余裕がないようだ。逆に言えば、そうなるタイミングをレアが狙ったとも言える。
 戦地から離れ、ノルヴとミストが見えるギリギリの位置まで後退した彼は、龍を停止させてノルヴからの返事を待った。

「ああ。決着がつくまで、この通信は切らないでおいてくれ」

 激しい発砲の音交じりに、ノルヴの声がする。

「ど、どうして......」

 戸惑いながら聞き返すレア。
 少し間を開けた後、ノルヴの答えが返ってきた。

「......俺は、恐らく数分しないうちにお前の恩人を殺す。筋の通らねえ、意味の分からない理屈だと思うが、その瞬間まで、音だけでもお前に届けたい。だから、そのまま通信を切らずにいてくれないか。俺の自己満足だが」

 言い終えた直後に、ミストの龍が空中でよろめいたように見える。
 それを見て、レアは目を見開いた。遠目だが、龍の腹部から出血している様子が見受けられる。
 どう見ても、対龍弾によるダメージだった。
 しかし、ミストに戦闘を諦めたり、無事に帰ろうなんて気はさらさらないようで、戦闘は続行される。
 ノルヴの言う事は、希望的観測ではなさそうだった。
 レアは通信装置に反応されない程小さな声で、ミストの名を口走る。
 そして、数秒無言の時間。

「分かった」

 彼が想いを言葉にした直後――

――

 戦闘は、ますます激しくなっていた。互いに細かい機動を繰り返しながら、連続して攻撃を繰り出している。
 本来、大量消費が難しい対龍弾は決定打として放たれるものだ。しかし、互いにいつ攻撃が当たってもおかしくない状況の為、かなりの個数の対龍弾を打ち合うという状況になっていた。
 そして、ミストは龍の腹部に対龍弾を一発食らっている。つまり劣勢だった。
 だが互いに攻撃の手を緩めない。

 激しい膠着状態は、暫く続いた。

 戦闘の長さの割に、決着は一瞬でつく。

 ノルヴの放った弾が、ミストの龍の頸部に当たった。

 人と同様、龍にとっても弱点となる場所だ。

 鮮血を滴らせながら、龍は落ちていく。

 普通ならば、ノルヴは落ちていく騎に見向きもしない。しかし今回は違った。

 後を追うように、急降下する。

 そしてミストの直上に到達した。

 上を見上げたミストと、ノルヴの目が一瞬合う。

 直後、ノルヴは小銃を連射した。

 外れた弾は、皆無だった。

 内一つが、ミストの脳天を貫く。

 銃撃は停まった。

 ノルヴは、レアが息を飲む音を、装置越しに聞いた。

「ノルヴ! 避け――」

 そんな声が聞こえた瞬間、彼の視界は真っ白になる。

 悲痛な叫び声と、勝ち誇ったような笑い声が、聞こえたような気がした。

――

 レアは、唖然としていた。
 彼の目には、眩いばかりの白い光が映っている。
 それは煙のようなものだった。
 ノルヴがいる場所に、それは蔓延している。

 生けるもの全ての命を奪う、白龍のブレスだった。

 数瞬の後、雲の如く広がるそれから、何かが落下する。

 ノルヴと、ノルヴの龍だった。

 微動だにせず、ただ重力に従って落ちていく。

 死んでいるのだ。

「あー、あー、聞こえるか?」

 レアが、俄かには信じがたい事実を認識すると同時に、通信装置から、新しい声が聞こえてきた。

「ア......ドウェル......たいちょ......」

 返すレアの言葉は、震えて殆ど声になっていない。

「どさくさに紛れて通信装置を奪ったが、流石にあのブレスでもこれは壊せないみたいだな......」

 アドウェルの声は、至って冷静だった。

「どうして、白龍がここに......」

 未だ混乱したままのレアの呟きに、アドウェルが嘲笑する声が聞こえる。

「先日の、お前らが落とされた戦闘で、ミストも落とされてたんだ。あいつはアドリア国密偵、いくらシュピネーの情報を流さないといっても、この龍の情報はその範疇じゃない......あいつから全部聞いたぜ、お前らが何を見てたのか......」

 それを聞き、レアの脳裏に白龍の洞窟での事が蘇った。

 ――不自然に聞えた石の転がる音。

 つまり、あの洞窟でお起こった一部始終を、ミストが盗み見ていた、ということになる。
 そして、龍と契約する方法は、至って簡単なもの――

「全く、鬼に金棒って奴だ。俺がこんな龍を手にれられるとは......,,あの野郎、俺の接近に気づくことなく、呆気なく死んでったろ? これで多少は気が晴れるってもんだ。あとは、この龍でてめえらの国を亡ぼせばいい」

 勝ち誇っているのがよくわかる、上機嫌な声色だった。
 数百メートル離れたところで相対する二つの龍は、暫く互いに動かなかった。
 風の音が聞こえる。
 先に動いたのは、レアだった。
 銃を撃ちながらアドウェルに向けて飛んでいく。
 彼から見て左方向に、アドウェルは旋回した。弾は全弾外れる。
 白龍と暗赤龍では、暗赤龍の方にスピードの利がある。やや小型であるレアの龍は小回りも効き、アドウェルの斜め後ろから肉薄する。

「......よくも!」


 堪えていたものがあふれた、と言った感じに、レアは叫んだ。
 すると、通信装置から笑い声が聞こえる。

「親友だかなんだか知らねえが、大層ご立腹だねえ」

「うるさい!」

 レアは、それ以降何も言わずに攻撃を続けていた。
 無我夢中、という奴だ。本来彼が持つ実力を遥かに凌駕するほどの戦い様である。
 必死の表情の彼が、何を考えているのかは、くみ取れなかった。

 アドウェルを、真後ろからレアが追う形になっている。

 そして、レアの猛攻が止んだ一瞬の隙に、アドウェルは龍を急上昇させた。

 その意図をレアが察した時には、もう遅かった。

 速度が落ちたアドウェルの下を、レアが通り過ぎていく。

 アドウェルの龍が、頭を下に下げる――

――

「......今回は、本当に、事実なのですね」

 戦闘は、誰も見たことのない白龍の出現により、シュピネー国の即刻撤退という形に終わった。

「はい。白い龍と対峙した騎士二名を、失いました」

 レリスに伝達した兵の声は、沈んだものである。

 失った騎士二名の名は、ノルヴとレア。
 どちらも、白龍のブレスによるものだった。

「それで、白龍は」

 無表情に聞くレリス。

「一人で向かっていった一兵卒と、相打ちになりました。龍の方は不明ですが、騎手は死亡が確認されています」

「そう......ですか」

 顔に影を落としつつレリスは言った。そして、そのまま男を下がらせる。

「まさか......本当に......」

 珍しいほどに声を震わせるレリス。
 すると、低い唸り声が聞こえた。
 振り返ると、壁の端にガルドが立っている。

「遺体は、森の中に落ちたんだな......」

 そういう彼も、目が見えなかった。

「戦闘中レアから受けた連絡だと、ミストはノルヴが撃墜したそうだ」

 ガルドは続けた。
 椅子に座るレリスが、ほうと溜息をつく。

「四人とも、ということですね」

「そうだ」

 部屋が一瞬静まり返った。

「少し、広い所に行きませんか?」

 唐突に提案するレリス。
 ガルドは、何も言わずに扉へ向かった。

 二人が向かったのは、離着陸場だった。
 空は、悲しいほどに澄み渡っている。

「残念だが、俺でもあいつが死ぬ瞬間何思ったのかはわからねえ。死にたくない、以外だということだけだ」

 死ぬことに関しては、二人とも兵である以上覚悟していた筈だ。

「あの二人は、互いをどう思ってたのかわかりますか? 親友、というのは聞いていましたが」

 互いに目を合わすことなく、二人は会話を交わす。
 レリスの問いに、ガルドは首を振った。

「十年以上一緒にいるのに、その辺はさっぱりわからねえ。が、白髪の......レアは、ノルヴが死んだ後一人で白龍に向かっていったんだろ? ノルヴから聞いてた性格には似合わねえ。敵討ちというわけでもなさそうだから......やはり――」

 ガルドは、ふと足元に視線を落とす。
 彼の足元には、小さな白い花を咲かした草が生えていた。

「根と花みたいに、姿が見えなくても互いに必要な存在、みたいな感じだったんじゃないか......?」

 しゃがみ込み、花を見つめながら言うガルド。

「......貴方には、中々似合わないセリフですね」

 どこか遠くを見つめながら、レリスは言った。

「そうだな......でも多分、そういうことだと思うぞ」

 風が吹いてきた。
 泡沫のような花は、静かに揺れる。