泡沫の龍騎士 5話

「......ええ、そちらの資料室にも、ここにあるのと同じものがあります。管理する者には伝えてあるので、調べるのなら、自由にしてもらって構いません」

 レリスは言い終えると、通信を切った。通信の相手は、沿岸基地にいるノルヴだ。
 現在彼女がいるのは、軍本部にある資料室。軍における様々な記録や資料が、全て纏められている場所だ。そしてその手には、十年前に起こった奇襲事件の資料を持っていた。

「どうだ? 何か分かったか?」

 突然声をかけられたレリス。振り向くと、そこにはガルドが立っている。

「いえ......やはり錬金術村の一件はどこにも残っていないみたいです。それ以降志願して軍に入った者の資料も見てみましたが、やはり数が膨大で......」

 レリスは若干弱気な声で言った。
 それを聞いて、ガルドも唸り声をあげる。

「確かに、そうだよなあ......因みに聞くが、密偵の存在について、それが裏付けられそうな心当たりはあるのか?」

 一旦資料に目を落とし、考えるレリス。

「マルガリトム港の奇襲については、敵方の状況を見るに、事前にばれていた線は薄いです。それに、事件が起こる前からずっと交戦状態が続いているルボル国との戦況も、この十年で特に動いたところはありません。そう考えると、密偵が我が軍で何をしたかったのか、それすらも不明、ということになりますね......」

 ガルドは、何かをもごもごと呟いた。何を言っているのか、レリスには聞き取れない。

「あ、いや、気になさらずに」

 彼女の不審げな視線に気づき、ガルドは慌てて言う。

「騎士長! おられますか?」

 またも、部屋の中に新しい声が響いた。
 レリスが返事を返すと、現れたのはアドウェル。

「アドウェルではないですか。どうしましたか?」

「ノルヴを沿岸に行かせたというのは本当ですか」

 彼女の発言が終わるかどうかといったギリギリのタイミングで、アドウェルはまくしたてた。焦っているのか、起こっているのかよくわからない表情だ。

「え、ええ。暫くは海戦が続く筈なので」

 それを聞くと、彼は歯噛みした後、一言いって部屋を出ていった。
 残されたレリスをガルドは、少しの間ポカンとした表情になる。

「何がしたかったんでしょうか?」

「さ、さあ」

――

 同刻、沿岸基地の内部ではあるが、ノルヴとは離れた場所を、一人の一兵卒が歩いていた。
 彼の名はレア。月光のような白い髪を持つ、兵にしては物静かな印象の青年だ。その表情から、大いなる不安を抱いているのがうかがえる。

「......おーい。上官の前を素通りしてるよー」

 背後から、そんな声が聞こえた。声色で、誰が居るのか察したレアは、顔を強張らせながら振り向く。

「......す、すみません。ミスト隊長」

 慌てて会釈をしたレア。
 ミストと呼ばれた男は、それを見て悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「そんなに畏まらなくってもいいじゃん。俺たち十年来の知り合い、いや友達だろぉ? ここには誰もいないんだし......って、どうしたの?」

 砕け切った口調で、レアに肩を組みながら言ったミスト。しかしレアの表情を見て、様子が変わる。
 一方のレアは、後ろめたそうな様子で、ポツリと呟いた。

「ノルヴが......」

 その名を聞いて、ミストは納得がいったように手を打つ。

「ああ、俺っちが君を助けたとき、君が言ってた名前だねぇ。最近出てきた英雄と同じ名前だけど、なんかあったのぉ?」

 レアは、大きく溜息をついた。

「今日の海戦の援軍でその英雄が来てたんですが、どうやら同名の別人じゃなかったみたいで......」

「うっそー!」

 彼の言わんとすることが分かったミストは、思わず大声を上げる。
 耳の近くで叫ばれたので、耳を抑えるレア。

「凄いよね? それってつまり、十年前に生き別れた、もう生きてないと思ってた親友が、偶然同じ軍に入ってたってことなんでしょ? でしょ?」

 興奮しながらまくしたてるミスト。彼は思わずレアの肩を掴んで揺さぶっている。

「感動の再開のチャンスじゃん。何で話しに行かなかったの?」

「い、いや、なんだか......」

 レアはそう言い、顔を伏せた。
 先を促すように、レアの顔を覗き込むミスト。

「十年も経って、色々変わりすぎてて......あっちは、誰もが羨望の眼差しを向ける英雄になってますし」

 まるで後ろめたいものを告白するように、レアは言った。
 それを聞き、ミストは呆れたように声を上げる。

「はあ? 渋る意味がわからないんだけど」

 レアも、ミストの言う事は理解できているらしい。だが浮かない顔のままだ。
 これ以上言うのは野暮だと思い、ミストは一言言ってその場を後にした。

――

「......こっちにも残ってたのか」

 棚に積み上げられた無数の資料を見ながら、ノルヴは呟いた。
 彼が今いるのは、沿岸基地資料室。先程レリスと通信を交わした時に、この部屋の存在を知らされたのだ。王都にある本部も、今居る沿岸基地も、どちらも帝国軍の重要な拠点である。しかしノルヴは、本部からの任務につくことが殆どで、沿岸基地に駐留したことは、全くといっていいほど無かった。

 ――故にレアの存在に気づくことがなかったのだが

 不意に戦闘中の光景が脳裏に過り、ノルヴは顔を強張らせる。何を考えているのかは、読み取れない。
 暫く俯いていたが、自分が何をしに来たのかを思い出し、顔を上げた。
 棚の中から、目当ての情報が載っていそうな資料を取り出し、捲る。彼が探しているのは、十年前に故郷が襲撃された事件についての情報だ。レリスとの会話から、あまり有益な情報は残されていなさそうな様子だった。しかし少しでも自分の身に起こった事を得られるのなら、という判断だ。

 襲撃は、深夜だった。偶然目を覚ましていたのは、ノルヴとレアだけ。他の者は、皆業火に焼かれた。無論その中には、ノルヴやレアの両親や、親しい者も多くいたのだ。はじめ村に火の手が上がったとき、彼らは懸命に他の者を助けようと村中を駆けまわった。しかし次々と投下される爆弾と、迫りくる火の手に、自らが逃げざるをえなくなってしまう。それは即ち、非力故の見殺し、ということだった。
 資料を繰りながら、そんな物思いに耽るノルヴ。あまりに集中していた為に、資料室の扉が開かれた音に気が付かなかった。

「こんにちは、英雄さん」

 背後から声を掛けられ、ノルヴは勢いよく振り向く。そこには、彼の見た事のない顔があった。

「......誰だ」

 基地内部なので、敵である事はまずありえない。しかしノルヴの声色には、かなりの威嚇が含まれている。彼の性格の所為だろう。
 睨みつけられた男は、彼を宥めるように手を振った。

「突然話しかけてごめんよぉ。俺っち、ミストっていうんだ......レアが所属する隊の隊長をしている男さ」

 ミストの言葉を聞いて、ノルヴは瞠目する。

「......矢張りあれは、レアだったのか」

 思わず口から零れた呟きに、ミストは軽く笑った。

「やっぱり見かけてたんだ。俺っちもさっきあいつから話聞いてさぁ、ちょっと興味湧いたんだよね。色々話聞かせてくれよ」

 彼の馴れ馴れしい態度は、彼本来のものらしい。だがノルヴはあまりいい印象がないようで、ミストを訝しんでいる。
 それを見て、ミストは肩を竦めた。

「駄目ぇ? 実を言うと、十年前の事件であいつを助けたのは俺っちなんだよね。だから、この十年間あいつが何をしてきたのか話せるよ?」

 ミストの話を受け流す体勢で、資料に目を戻しかけていたノルヴ。だがその動きが止まった。

「お、反応したねえ」

 ノルヴの反応を読んでいたミストは、それを愉しむかのようにニヤリと笑う。

「てめえ、殴られてえのか」

 完全にミストの掌中なのが気に食わないらしく、ノルヴはミストを睨みつけた。

「そんなに怖いするなって。折角話してあげるんだからさあ」

「......わかった」

 不機嫌に返事をするノルヴ。目線はミストではなく、資料へと落とされていた。
 依然ニヤニヤとしたまま、ミストは一冊の資料を手にとる。特に意味があるわけではなく、偶然目についたものを手に取っただけのようだ。
 そして、語り始める。

泡沫の龍騎士 6話

「俺っちは、あの村から徒歩で数十分くらいのところで、一人小屋暮らしをしてたんだ。十年前にアドリア国の兵が奇襲作戦をして、山の南側は火の海になった。俺の住んでた小屋も燃えて、命からがら逃げだした。やっとこさ火のないところまで逃げられたと思ったら、そこにもう一人子供がいた。まあその子供がレアだったんだけどね? もう誰も生き残ってないと思ってたから、たまげたよ」

 最後、苦笑交じりに言うミスト。

「......それで、レアは?」

 ノルヴは、先を急かすように聞く。


「あいつ、怪我でズタボロだったのに、友達を助けてって半狂乱になって叫んでたよ。その友達って、君のことだったんでしょ?」

「......俺は生き残りった俺とレアを狙って来た龍から、レアを逃がしていた。逃がすといっても、逃げようとした俺とレアのうち、俺の方に偶然龍の攻撃がきたってだけだったが......この傷も、その時に負った」

 一切顔を合わせることなく、会話を交わしていく二人。
 そして、自分の右目の周りにある火傷跡に、ノルヴは手を触れた。
 傷を見て、ミストは悲痛な顔になる。

「うわあ、やば......助かったの、奇跡だったんだねえ......レアの話に戻るけど、俺はあいつを保護したあと、二人で山を越えた。山の反対側に、錬金術師達の村があるってのを聞いてたからねぇ。そこで事情を話して、数か月の間そこで生活していたんだ」

 ここでも錬金術師の村が出てきたことに、ノルヴは驚愕した。ミストらが村を訪れたのは、タイミング的に密偵の事件があった直後だろうか。

「それで、軍にはいつ?」

 密偵の件についても聞けそうなことがあるのだが、そうすると話が脱線してしまう。そう考え、入隊の経緯を問うノルヴ。

「俺は元々軍に入るつもりで、燃えた小屋も、暫くしないうちに出て王都に向かうつもりだったんだ。村にずっと厄介になってるわけにもいかなかったから、やっぱ軍に行こうと思ってその事をレアに話した。するとあいつ、自分も軍に入りたいって言ったんだ。死んだお前の為にもって言ってたかな」


 チラリと、目線をノルヴに向けるミスト。
 彼が見たノルヴの横顔からは、葛藤のようなものが伺えた。その内容を、ミストが知る由もないが。

「そして俺とレアは軍に入って、こっちの基地に配属された。君はどうだったの?」

「俺は、師匠......副騎士長ガルドに助けられた。そん時は軍に入って間もない頃だったらしいが、元々の才能なのか、それとも何かあったのか、とんでもなく強かった。彼の元で訓練し、俺も軍に入ったんだ」

「なるほどねえ、君のその強さは、副騎士長直伝のものだったのか」

「さあな。師匠が本部にいたこともあって、俺は本部配属になった。そしてこの十年間、沿岸基地でレアに出会う事は無かった」

 語り終え、ノルヴは資料を閉じる。そして、また別の資料に手を伸ばした。
 ミストは嘆息する。

「難儀というか、運命の悪戯というか......それにしても、随分無表情になったんだねぇ」

 棚の資料を掴んだまま動きを止めるノルヴ。

「俺っちがレアから聞かされてたノルヴは、溌剌とした、ちょいとやんちゃな少年って感じだったよぉ? どうして?」

 ミストの返答は、やはりノルヴを挑発するようなものだった。
 ノルヴは、たっぷり十数秒沈黙した後、口を開く。

「......さあな」

 脱力するように、ミストは溜息をついた。直後資料に目を落とすと、不意に眉をひそめる。

「うん?」

 突拍子もなく発せられた声に、ノルヴが反応した。ミストの目線を追って、彼の持つ資料に目を落とす。
 ミストが手にしていたのは、王都に移住した者を纏めた資料だった。
 そこに書かれている名前を見て、ノルヴは目を見張る。

「これ借りるぞ」

 ミストの手から資料を奪い、ノルヴは慌てて部屋を出ていった。
 何事かと声をかけようとしたミストだが、扉が閉じる音に遮られる。

――

「ええっ! 今からですか?」

「命令を無視する形になってしまってすみません。ただ、これについては俺が直接......」

「わかりました......あまり話を大きくすると、密偵の特定に影響がでます。以降貴方にも調査を一任する形になりますが、いいですか?」

「承知の上です。というか、元々巻き込まれているようなものですから。では」

 ノルヴとの通信は、そこで切られた。
 暫(しば)く資料を漁り、一旦自室に戻って来ていたレリスのもとに、彼からの連絡が入ったのだ。内容は、密偵に関すると思われるな情報を手に入れ、それを確認する為本部に向かっている、というものだった。
 椅子に座ると、レリスは額に手をやり溜息をつく。
 自分が探した中では、そのような手がかりは見つけられなかった。しかしノルヴは、同じ資料が保管されている沿岸基地の資料室で何かを見つけた。二人とも、探していたのは十年前の資料。量が多いとはいえ数時間もあれば余裕で見切れるものだ。何故自分は発見できなかったのか。
 そんな疑念が、レリスの頭に浮かんでいた。

隠蔽工作の可能性......」

 思い至った考えを、思わず口にするレリス。そして自らの言葉を聞き、自嘲気味に笑みを浮かべた。

「大失態ですね......」

 密偵に関する一連の情報は、悉くが軍の失態を語っている。諸国との戦闘など国の外に目を向け過ぎ、そう遠くない場所の異変を完全に見逃した。そしてノルヴが齎した情報は、その失態に拍車をかけるものである。
 少しの間俯いていたレリスは、立ち上がって部屋を出た。向かう先は、先ほどまで居た資料室だ。

――

 龍の出せる最高速度で、ノルヴは南へと向けて飛んでいた。その顔には焦燥が色濃く浮かんでいる。
 ノルヴが見た資料に載っていたのは、彼の師であり、帝国軍副騎士長でもあるガルドの名前だった。そして彼の出身として記されていたのが、南鉱山錬金術村。
 十年の付き合いの中で、ノルヴはそんな事を全く聞いた事がない。
 錬金術師達は、その生活を研究に捧げる為に村をつくっている。つまり村人は総じて錬金術師なのだが、ガルドが錬金術師などという様子はまるでなかった。

 そこから、最悪のシナリオがノルヴの脳裏を過ったのは、言うまでもない。

 思わず、ノルヴは唇を噛んだ。

 一時間後、彼は帝国軍本部に帰着した。
 迎えるのは、騎士長レリスただ一人。

「騎士長、師匠は今どこに?」

 龍から降りるのももどかしいといった感じで、ノルヴはレリスに問う。
 しかしレリスは、沈んだ表情で首を横に振った。

「貴方からの連絡を受けて、すぐに彼を捜索しました。しかし、どこかに隠れているのか、それとも既に逃亡しているのか......」

 ノルヴは歯噛みする。

「国境の警備は、どうなってるんですか?」

「既に通達してあります。身元が確実な商人以外、誰もこの国に出入りさせません」

 その後、二人は押し黙った。
 するとその時、離着陸場に新たな人影が現れる。

「騎士長!」

 大声で呼ばれたレリスは、顔を上げた。
 見ると、アドウェルがこちらに向けて走り寄ってきている。

「ガルド副騎士長が、先程一人で訓練場に......」

 彼がそう言った途端、ノルヴは走りだした。
 状況がよくわかっていないアドウェルは、そんなノルヴを不審そうに見やる。

「あの男、何を?」

「後で話します」

 アドウェルの問いを流し、レリスは彼に背を向けた。

泡沫の龍騎士 7話

「あの、騎士長」

 後ろからレリスを呼ぶ声が聞こえた。
 振り返ると、先ほど別れたばかりのアドウェルが立っている。

「まだ何か?」

 少々素っ気ない口調になってしまうレリス。
 だがアドウェルは、全く気にする様子がない。

「貴方は、何故あの男に目をかけるのですか? 年端の行かない、経験も浅い若造だというのに」

 彼の目は、至って真剣だった。
 そして、彼の言っている事は、彼が常日頃から思っていることだ。アドウェルは、十歳近くノルヴより年上である。それだけ従軍期間も長い。しかし現在、軍での彼の扱いはノルヴと同等、あるいはそれよりも少し下だった。先の奇襲攻撃も、アドウェルが任されたのはアドリア国が占領している地域への侵攻。ノルヴが任された、敵戦力に大打撃を与える目的のマルガリトム港奇襲と比べると、やはり格差を感じえなかった。

「私は、何よりも作戦遂行の可能性を高める為の人選をしています。誰に目をかけている、かけていないということではなく、ただノルヴの能力を見て決めているのです」

「......そうですか」

 言いたい事は、それだけのようだったアドウェル。
 レリスは、彼に背を向けて歩き出す。

「やはり貴方は......」

 アドウェルは、ホルスターに手を伸ばした。 

――

「......そうか、わかった」

 だだっ広い訓練場に、一人佇むガルドは、そういって通信を切った。彼は、今までにないほど無表情で、何かを諦観しているようだ。通信の内容を頭の中で反芻し、深く息を吐く。

「隠しきれるものでもないな......」

 ぼそりと呟いた。
 同時に、勢いよく扉が開かれる音と、誰かが駆けこんでくる音がする。

「ししょ......いや、ガルド!」

 普段の無表情さは失せ、怒り一色で塗りつぶされた声が木霊した。
 自分の背後から投げかけられた声の方向を、ガルドはゆっくりと振り返る。
 言うまでもなく、そこに居たのはノルヴだった。

「沿岸基地で、移住者のリストを見た。そこにお前の名前が載っていた。しかも、出身は錬金術師の村となっている。どういうことだ!」

 ノルヴは、ガルドを睨みつける。その目は怒りに燃えているが、根底には激しい狼狽があった。
 自分に詰め寄ってくるノルヴを、ガルドは無表情な目で見つめる。

「俺と出会う前、お前はどこで何をしてたんだ。全て話せ! ......お前が密偵なのか?」

 ガルドの襟をつかむノルヴ。彼がここまで熱くなるのは滅多にない。
 暫くノルヴの顔を見つめた後、ガルドはゆっくりと口を開く。

「俺は、十年前に錬金術師の村を襲った。そして、彼らを使ってこの国へ侵入した」

 はっきりと言い切った。
 言葉を聞いた瞬間、ノルヴはホルスターから銃を取り出し、ガルドの眉間に向ける。

「お前は、十年間俺を騙していたんだな?」

「そう思うのは勝手だが、俺は密偵ではないぞ?」

「......どういうことだ」

「だから、錬金術師の村を襲ったのは俺だ。だが俺は密偵ではない。そして密偵は居る」

 回りくどい言い回しをするガルドに、ノルヴは眉をひそめた。
 ガルドは溜息をつくと、ノルヴの銃口の前を離れ、壁際に歩いていく。

「これは、俺一人の問題だった。だから俺一人で解決しようと決めてたんだ......」

 そこまで言うと、ガルドは一瞬次の言葉を溜めた。

「お前に、俺の生い立ちを語ろう」

――

「俺は、アドリア国大臣家に生まれた。興味はなかったが、古くからある家らしい。そして俺には一人兄がいた。つまり、家と父の役職を継ぐのは俺じゃなかったんだ。将来を選べた俺は、軍に入った」

 静かに語り始めるガルド。
 何も言わずに、ノルヴは耳を傾けた。

「軍人は俺の性に合っていたらしい。そこで俺は活躍した。丁度今のお前のようにな。だがそんなとき、事件が起こった。俺の父親と兄が、処刑されたんだ」

「処刑?」

「ああ。俺はあの国の政治には興味なかったから、何があったのかはよくわからない。だがどうやら、政敵に嵌められたようだった。反乱を企てているというデマが流されていたようだった。既に母は死んでいたから、俺が一族で最後の一人になった。あとはわかるな?」

 話を振られ、ノルヴは暫し考え込む。

「命を、狙われた?」

 ガルドは頷いた。

「そうだ。だから俺は、非合法な手段で国を出て、この国に逃げ込むしかなかったんだ。国外に逃げ込めるとするのなら、当時アドリアと友好的な関係を築いていたシュピネーだけ。そして、友好的故に、誰にも素性を明かすことはできなかった」

 彼の話は、そこで終わる。
 ノルヴは、その話を信用すべきかどうかを決められなかった。
 それを見抜いたのか、ガルドはニヤリと笑う。

「考えてもみろ、どうして他国に潜入した密偵が、その国随一とうたわれる兵を育てなければいけない? その兵は、俺の故郷に宣戦布告の奇襲作戦を仕掛けもしたんだぞ?」

 押し黙るノルヴ。

「だったら」

 彼が口を開いたのは、たっぷり時間を置いてからだった。

「だったら、どうしてそれを誰にも言わなかったんだ? 友好国だったのは過去の話。騎士長含め、師匠の話をわかってくれる人は大勢いただろ?」

「あの国が、俺を野放しにしておくとは思えない。何年経とうが、絶対に俺を殺そうとしている筈だ。そして恐らく、俺がこの国に入った事は既にばれている。確証はないが、な。だから俺は誰にも言わなかった」

 彼の言葉に、ノルヴは力なく座り込んだ。
 深く息を吐き、自分の頭を掻きまわす。

「だったら、慌ててた自分が馬鹿みたいだ......紙切れ一つで、師匠を疑ったことになる」

 ノルヴに目線を合わせる為か、ガルドも床に座った。

「まあ、そうなるよな。悪かったな、リスクを避けるためには、知ってる人は極力少ないほうが良かった」

 そして、二人は黙り込んだ。
 少しして、はっと顔を上げるノルヴ。

「そうだ。本当の密偵は、別にいるんだよな?」

「居る。つい数秒前まで半信半疑だったが......お前、俺を疑ったのは、あっちの資料室で移住者のリストを見たからだと言ったな?」

「あ、ああ」

 自分の問いに対するノルヴの返答を聞いて、ガルドは眼光を鋭くした。

「俺が錬金術師の村から王都に入ったとき、俺は自分の出身を錬金術師の村とは言わなかった」

 それを聞いて、ノルヴは瞠目する。

「その資料、本当に正式なものなのか、確かめたほうがよさそうだぞ」

 顔に影を落としながら言うガルド。
 ノルヴは立ち上がり、訓練場の外へと出ていった。

 その瞬間だった。すぐ近くの場所で、銃声が鳴り響いたのだ。

――

「西鉱山基地......ですか」

 長官の言葉を聞き、レアはそう返す。
 彼はミストをリーダーとする隊の仲間らと共に、数日の後に決行される予定の大規模な戦闘に参加することを告げられたのだ。
 勿論、ノルヴらの身に起こっていること、軍の上層部で動いている話は、知る由もない。

「君らの隊含め四隊はそちらに移ってもらう。西鉱山基地が、来る戦闘の拠点となる。本部からも兵が集められる予定だ」

 淡々と伝達要項を伝えていく長官。
 そしてそのまま解散となった。

「ねえねえ、聞いたかい、レア? 本部との合同だってぇ。もしかしたら、あの英雄さんも参加するかもよ?」

 解散後すぐに、ミストが話しかけてくる。
 彼の言葉に、レアは肩を震わせた。
 レアにとって、ノルヴは恩人であり、唯一の親友だった。火薬を生み出した錬金術師の家系に生まれ、それ故に迫害を受けてきたレアに対して、ただ一人、家系や環境による偏見を持たない目を向けてくれたのがノルヴなのだ。その親友が、生きていた、ということは、レアにとってこれ以上ない喜びであるはずである。だが、レアはそれを手放しで喜ぶことが出来なかった。
 それが、彼をおいて一人で逃げてしまったという負い目からか、十年という長い年月の間ににできた、立場的、実力的、環境的な差と、互いの変化を感じているからなのか、本人にすらわからないのだ。
 微妙な表情をするレアに、ミストは呆れたような顔を向ける。

「ちょっとぉ、いい加減手放しで喜んでもいいんじゃないの? なんか、昔の事引きずってるみたいで、かっこ悪いよ?」

「......そうかもしれない。でもやっぱり、僕よりもノルヴのほうが気まずく思ってるんだろうなって」

「どうして?」

「ノルヴは、優しいからさ......噂や、ミストの話を聞くと、十年前とはずいぶん変わっちゃってるみたいだけど、その優しさは絶対に変わってない。僕が、友達を捨てて逃げなきゃいけないような状況に追い込まれたのは、自分のせいだって思ってると思う。だから、多分、ノルヴは僕に罪悪感を抱いちゃってる」

「そんなの、実際合って、話を聞いてみなきゃわからないじゃん」

「それもそうだけど......多分ノルヴは......」

 ――今でも、僕を守ろうとしてるのかもしれない。

 その言葉を、レアは口に出さなかった。

 二人は、龍が普段繋がれている龍舎に到着する。彼らの姿が見えた瞬間、素早い動きで立ち上がる龍が二匹。レアとミストの龍だ。
 彼らは一旦別れ、それぞれの龍の元へ向かった。
 レアが乗っているの龍は、赤色で、少し小型。龍は騎手の性格と似るというジンクスがあるが、それに倣って少々大人しい性格をしている。無論飛翔速度が抜きんでているのが赤龍の特徴であるので、戦闘時の機敏な動きからはあまり想像できないのだが。
 龍は、低く喉を鳴らし、レアに頬をすり合わせるようにして甘えてきた。
 軽く微笑みながら、鱗に覆われた固い首をポンポンと叩くレア。彼は数歩下がると、腰に巻いたベルト付きポーチから赤い鉱石を取り出し、龍に向かって投げる。放物線を描くそれを、龍は首を上に振ってキャッチした。
 目を細めてそれを咀嚼する龍を眺めた後、レアは自分の右手に視線を移す。

「まさか、君の言う通り本当に龍騎士をやることになるとは思わなかったよ」

 その手には、刃物で皮膚を切った傷後が残っていた。この傷跡は、場所や大きさは違えど、龍騎士全員が持っているものだ。自らの血と、特別な鉱石、この二つを用いて騎士は龍と契約を結ぶ。それにより、龍騎士と龍は意志の疎通を可能とするのだ。意志の疎通といっても、龍と言葉を交わしたりすることはできない。彼らが自分の意のままに龍を操る事が出来、また龍の状態を、直感的に把握することができるようになるのだ。

 暫くの間自分の手と龍を眺めていたレアは、無理やり感傷から自分を呼び戻した。
 龍の手綱を持ち、外へと向かう。

泡沫の龍騎士 8話

「え......こ、これは......」

 その光景を見て、ノルヴは狼狽した。
 訓練場からノルヴが出た途端、銃声が響いた。あまり感覚を開けずに、二回も。
 駆けつけてみると、石造りの廊下の真ん中にレリスが立ち尽くしていた。彼女の手には小銃が握られており、銃口からは硝煙がでている。
 レリス着ている衣服の背中、左肩甲骨のところに穴が開いているのが、ノルヴの目に入った。そして、彼女の前にはアドウェルが倒れている。
 ノルヴの声に気が付き、レリスは彼のほうを振り返った。その顔は、悲しみに満ちている。

「彼が、私に向けて発砲しました。防御の為、私は彼の手元に発砲して銃を弾き、気絶させました」

 起こった事を話すレリス。しかし、それでもノルヴの混乱は収まらない。

「どうして、こいつが騎士長に発砲を......あ」

 倒れているアドウェルを見下ろしながら言ったノルヴが、何かを見つけた。
 屈んで、アドウェルの懐から何かを取り出す。
 それは、通信石だった。

「......俺たちが使っているどの通信石でもない......ってことはこいつ」

 ノルヴが導き出した予測に、レリスは既に到達していたらしい。表情を変えずに頷いた。

「外部の者と連絡を取っていた、と考えると、彼が密偵、あるいは密偵の傀儡になっていた可能性があります」

 不意に、何人かが彼らの元へ来る音が聞こえてくる。銃声に気づいた兵のようだ。

「彼を拘束してください」

 やってきた兵数名に対し、レリスは一言だけ言った。
 速やかに、アドウェルは運ばれていく。
 その場には、レリスとノルヴだけが残った。

「......撃たれたところは?」

 暫くした後、ノルヴはレリスに聞いた。レリスの服に開いた穴が銃創だと気づくのに、少し遅れたのだ。

「通常弾だったので助かりました」

 服をめくるレリス。

「防弾服......いつも着ているんですか?」

 通常の服の下にあるそれを見たノルヴは、半ば呆れたように息を吐いた。
 彼の胸中を察したレリスが肩を竦める。

「試験で使用したものです。あまり耐久性が優れず、採用には至りませんでしたが、捨てるのももったいないので、何となく着ていたんですよ」

 蜘蛛の交配による防弾服専用繊維の制作。シュピネー帝国が進めている事業の一つだ。
 言い終えた後、レリスは黙り込み、うつむいた。

「これだけの失態......本当に、最悪ですよね......騎士長として......」

 その姿を見て、ノルヴは声をかける事が出来ない。

「最近、随分と顔色が優れないようでしたが」

 一見話を反らしたようにも思えるが、彼の発言は、レリスを気遣ってのものだった。
 思うところがあるらしく、レリスは目線を泳がせる。

「開戦直後の緊迫した状況だというのに、密偵が入っていたり、裏切りものが出てしまったり、私の力不足が浮き彫りになるばかりで......」

 彼女が語っている事は全て本当の事である。それを痛感していたノルヴは、フォローすることが出来なかった。
 逡巡した後、口を開く。

「起こった事に引きずられるのは、らしくないと思いますが」

 それを聞き、レリスは唇を噛んだ。

「表に出すのは禁忌としていましたから......本当は、最初からずっと......」

「史上初の女性騎士長......なるほど、世間、軍内の目も厳しいってことですね」

 ノルヴの言葉に、レリスは顔に落とす影をより一層暗くする。

「龍に乗れない女が、本当に騎士長になってよかったのか......と常にどこかで感じていました。陸上戦や補佐騎乗での実績があり、それが正式に認められていたとはいえ、やはり......」

 その声は、震えていた。
 涙は、流れない。それは彼女にとって武人としての死を意味していた。
 無言の時が流れる。
 レリスが言うように、龍は女と契約することはできない。つまり女性が龍騎士になることはありえないのだ。世間一般は、軍に入るの者は決まって男だという認識である。
 今騎士長を務めている女が、何故騎士としてここにいるのか。それを彼女は、ただの一人として話したことはなかった。
 彼女の様を見て、ノルヴは溜息をつくように息を吐く。

「騎士長、今の状況を考えてください。密偵を潜入させ、組織上層部内での互いの結束も疑わしい。それは確かに貴方を中心とした軍中枢の責任です。しかし今は、かの国との闘いを始めた、この国の歴史上でも前例がないほどに大切な時でしょう。ここで騎士長が、国内に対しての失態の所為で、国外、戦での失態を重ねてしまうのが本当の最悪ではないのですか?」

 その言葉遣いは、彼にしては珍しいほどに丁寧だった。

「途中何が起ころうと、勝利したものが善となるのが、戦争ではないですか。過去の失態より、これから負けない為の事を大切にしてください。貴方は今この瞬間も、シュピネー帝国軍騎士長でしょう」

 言外に、ノルヴは密偵に関する一連の騒動についても、彼女を叱咤している。まだ完全かつ最悪の失態ではないのだから、と。
 不器用ではあるが、軍人にしては上出来の言葉だった。
 レリスは、見開いた眼でノルヴを見つめる。
 無機質な窓から、陽光が筋を描いて刺し子で来た。二人の立つ場所が、瞬く間に温かな光に満たされる。
 一瞬顔を伏せ、再び顔を戻すレリス。顔を上げた時、その目の色は一変していた。

「すみません。らしくないところを見せてしまいました」

――

 その一件から一夜明けた後、ノルヴは西鉱山基地へと向かう事となった。本来であれば、彼は今頃湾岸基地にいて、そこから直接向かう筈だった。よって隊列は組まず、一人での出発となる。

「動いている事態は、もう止められません。私は残り、指揮を執りながら密偵について調べます。この戦闘が終わるまで、密偵の件は忘れていてください」

 龍に騎乗したノルヴを見上げ、レリスは言った。

「当然です」

 ノルヴの返答は、やはり素っ気ないものである。しかし彼は逡巡した後、レリスを見下ろした。

「この戦闘、湾岸基地の兵も参加するんでしたよね」

「そうですが」

「わかりました」

 返事を聞いてすぐ、ノルヴはゴーグルを降ろした。
 離陸する直前だったが、レリスは再び口を開く。

「彼には、合えたのですか?」

 ゴーグルでノルヴの目元はよく見えないが、彼の目が見開かれる気配がした。
 黒龍が翼を広げる。

「もしかしたら、俺は非常に弱くなるかもしれません」

 そう言い残すと、彼は蒼穹に飛び立っていった。

 離陸上場は、固められた茶色い地面が広がっている場所だ。殺風景ば場所に一人残されたレリスは、黒龍の影が遠ざかるまで、そこに立ち尽くしていた。

――

「やぁやぁ、二日ぶりだねぇ、英雄さん」

 能天気な声が聞こえた瞬間、ノルヴは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
 本部から出立してから数時間、西鉱山基地に到着したノルヴに、ミストがちょっかいをかけてきているのだ。
 ノルヴの表情を無視し、ミストは話を続ける。

「まさかこんなにすぐ、英雄と一緒に戦闘に参加できるなんて思わなかったよ。よろしく頼むよぉ?」

 そう言って、ノルヴの肩に手を回した。
 乱暴にその手を払いのけるノルヴ。

「うざい」

 辛辣で重い一言が、彼の口から発せられた。ノルヴの性格上、この男が好きではないのは言うまでもない。
 思わず、ミストは腹を抱えて笑う。

「まあまあ、そんなぴりぴりしないでよ。楽しみにしてるよぉ」

 ノルヴの背を叩き、彼を追い越していくミスト。
 彼の背中を、ノルヴは暫くの間睨んでいた。

 ふと、背後で物音がする。
 振り返ってみてみるが、そこには、殺風景な廊下が続いているだけだった。
 それと同時に、鐘の音が聞こえてくる。出撃の時間が迫っている事を知らせる鐘だ。
 ノルヴは、気持ちを切り替える為に軽く息を吐き、外へと向かう。

 離着陸場についてすぐ、彼は白い髪を持った一兵卒を目にしたのだが、何も行動することはなかった。

「これより! 国境付近にある森林上空での戦闘へと向かう!」

 そう叫ぶのは、今回の作戦を取り仕切る上官。
 シュピネー帝国領への大規模な侵攻作戦を、アレニエ国軍が開始しようとしている情報が齎されたのは、つい先日の事だった。今西鉱山基地にいる者の殆どが、その防衛、及び敵戦力に打撃を与える為のこの作戦に参加することになっている。数にして二十数騎。通常の隊が十騎にも満たない事を考えると、かなり大規模なものだ。しかし敵の軍勢も同等の数という情報も入っている為、多勢を差し向けるのに躊躇はない、といったものである。

 そして、作戦開始時刻丁度。
 黒、赤、紫の三色が入り乱れた龍達が、一斉に大空に舞い上がった。

泡沫の龍騎士 9話

 龍騎士隊同士の戦闘は、混戦となる場合が多い。龍の背には大砲のような巨大かつ重量のある火器を搭載することができない為、騎手が装備している二丁の小銃、或いはライフル銃での銃撃が主となる。無論戦闘中に空中静止している龍などはまずいない為、彼らが狙うのは基本的に動体だ。射撃の難度はかなりのものだが、兵は皆その為の訓練を常にしているので、十対十の戦闘の場合でも、平均して三騎程度が撃墜される。また戦闘の大半がこのような流れになるので、体術に関しては技術を得とくしている者はさして多くない。ノルヴなどは体術に関してもかなりの強さだが、それは彼の特種さの根拠になっている。

 シュピネー帝国とアレニエ国、双方の軍に武力的な差は殆どなかった。戦場は広大な森林の上空、数百メートル四方に広がっている。そこかしこから銃声が聞こえていた。森、といっても熱帯雨林のお化けのようなもので、龍騎戦が行われる高度一〇〇〇メートル付近に届く樹木が多数自生している場所だ。高さが同程度の木が密集しているので、緑の海が波打っているように見える。
 ノルヴの顔と龍は、敵国にも難敵として知れ渡っているらしい。彼には特別敵の攻撃が降り注いだ。速度特化の赤龍にも多く追われているが、それすらも機敏な動きでいなし続けている。

「流石に多いな」

 若干の苛立ちを込めて、ノルヴは呟いた。
 同時に急上昇。龍の身体全体が地面と垂直になる。その事によりノルヴの騎は急激に失速した。
 彼の背後をとっていた赤龍二騎が、ノルヴの機動に対応しきれず、彼の下を通り過ぎていく。
 龍の顔の向きを下に変えて高度を下げると、ノルヴは完全に敵二騎の背後に回る位置取りになった。
 間髪入れずに対龍弾を発砲。どちらも見事、赤龍二騎の後方に命中した。
 負傷させた敵には興味がないと言わんばかりに、ノルヴは高度を上げる。すぐ傍にノルヴのいる高度と同じくらいの高さの木が密集している地点の横を通り過ぎた。
 木々の裏側で、シュピネー軍二騎とアレニエ軍二騎が戦闘をしているのが視界にはいる。互いに激しい銃撃を交わしていた。
 それを見て一瞬目を細めると、ノルヴは敵騎の方向に進路を変える。
 旋回しつつ、相対していたシュピネー騎に向けて連続で発砲していた騎は、ノルヴの接近に一瞬反応が遅れてしまった。騎手がノルヴに気づくと同時に、龍の左腹部へ弾丸が当たる。
 ノルヴが撃墜させた騎は三騎。圧倒的な数だった。
 そしてシュピネー軍の龍は十八、アレニエ軍の龍は十六と、数の上での優勢が広がっている。

 状況を見る為にノルヴは戦闘の中心から一時離脱した。
 広い戦闘域を見回し、油断はできぬが優勢であるその状況を確認する。

 同時に、彼は目を見開いた。
 ノルヴが見たのは――

――

 たった一人で数騎の龍を撃墜していくノルヴは、やはり常識外れの強さを持っている。通常の兵ならば、味方の数騎と小隊を組み、相手を迎え撃つのが定石なのだ。
 レアも、そんな小隊の一員として戦闘に参加していた。
 彼が居るのは、四人編成の小隊だ。指揮はミストが執っている。
 現在は、敵の小隊と混戦を繰り広げていた。敵の小隊は三人編成。

「二手に分かれるよ!」

 通信装置から、ミストの声が聞こえた。その一言を合図にしてミストとレア、そして残りの二人が別々になる。
 敵三騎は、少し離れつつも絶対に離散しない距離を互いに保ちつつ、少し上の高度を飛ぶレア達へ攻撃していた。機関銃を持つ兵が一人いる為、戦況は少々危ういものとなっている。
 ミストらが分かれたのをみて、敵騎は一八〇度向きを変えながら高度を上げた。
 レアとミストは縦列に並び、旋回しつつ高度を下げる。
 丁度空中ですれ違う形になった。
 二人は同時に発砲する。
 放たれた四つの弾丸が、敵騎の移動を予測した場所に飛んでいった。
 三騎の敵騎のうち一騎の赤龍の顔が、弾丸の方を向く。開かれた口から、炎と赤い煙の中間くらい、といった感じの見た目をした息を吐いた。高熱を帯びたそれは弾丸の勢いを殺し、落下させる。
 ブレス、と言われる龍の特性の一つだ。
 攻撃が防がれ、ミストが舌打ちする音が通信装置から聞こえる。
 直後再び銃声。
 対龍弾がブレスを吐き終えた敵騎に当たる。
 ブレスの下側に回り込んでいたレアが放ったものだ。

「撃墜!」

 レアが通信装置に叫ぶ。
 その後別れていたもう二騎が、残っていた敵騎を撃墜した。
 四騎は、再び隊列を組みなおす。
 数秒もしないうちに、新手が現れた。今度は黒龍二騎。
 ミストが通信で行動を伝えると、隊列を組んだまま敵騎に向かっていく。敵騎のほうもこちらを標的としているようで、旋回しつつ銃を連射していた。
 丁度空中で円を描くように、互いに旋回しながらの銃弾の応報が交わされる。
 数秒の拮抗が続いた後、敵方の銃撃が止んだ。未だ旋回は続いている。奇妙なタイミングだった。
 直後咆哮が、あらぬ方向から聞こえてくる。
 瞬時に危険を察知したミストは急旋回した。他の班員もそれに続くが、レアだけ一瞬反応が遅れる。
 咆哮は、別の敵騎が発したものだった。色は黒。
 黒色の煙霧がその口から放たれる。黒龍のブレスだ。
 レアは、それをもろに食らってしまう。

「レア!」

 吹き付ける霧の中、レアはミストの声を聞いた。
 そして銃声。
 敵騎の対龍弾が、レアの乗る龍に当たった。
 黒龍の放つブレスは、龍種が体色ごとに持つ特性を、他色の龍以上に引き下げる。レアの乗る龍は、暗赤。速さに特化した龍だ。ブレスを食らい、異常に速度が落ちたところを狙われた。
 対龍弾を複数受けたレアの龍は、呻きながら高度を落としていく。
 少しすると枝葉が龍やレア本人の身体を打ち付けた。
 レアは、完全に気を失う。

――

 大規模な戦闘は、数時間後に幕引きとなる。
 結果、アレニエ国軍は戦闘に参加した殆どの兵を失うという打撃を受けた。しかし勝利したシュピネー帝国側からしても、少なくない犠牲を払っていた。完勝とは言い難い結果である。
 事後報告が、レリスのもとに届いた。報告を担当している兵が、彼女の部屋で紙面を読み上げる。
 芳しくない結果を無表情に聞いていたレリスは、手渡された戦死者・行方不明者のリストを見て、思わず立ち上がった。

「ノルヴが......?」

 彼女の手に持つ資料の中に、確かにノルヴの名が記されていた。

「は、はい。ですが、少々奇妙な状況で......」

「奇妙?」

「私も目撃していたのですが、彼は自分から龍を落とした......というか、地上に用があった風な......」

 曖昧な物言いに、レリスは眉を顰める。思わず追及しそうになるのだが、それで詳しい事が分かるのなら最初から言っている筈だと思いとどまった。

「......わかりました。その行動の真意がどうであれ、今この場に居ない以上戦死者として扱います。惜しい戦力でしたが。報告、ありがとうございます」

 敬礼をすると、兵は部屋を出ていく。
 一人残ったレリスは、再び資料に目を落とした。
 すると、ノルヴの名の付近にある名前を見つける。

「まさか......」

――

 レアは、風のうねる音で目を覚ました。
 体を起こして周囲を見回してみる。
 どこか洞窟の中の中のようだ。外からの光は届かず、どこに何があるのかもさっぱりわからない。
 雨の降る音が聞こえてくる。洞窟の深いところではなく、比較的浅いところにいるようだ。
 周囲を見回しながら、現在の状況を確認していくレア。対龍弾を何発も食らい、確実に死んだものと思っていた自分が、何故こんなところに居るのか。どれだけ考えても、さっぱりわからないようだ。
 ふと、何かが動く物音がする。
 彼のすぐ傍、左斜め後ろ辺りから、その音は聞こえてきた。
 用心しつつ、レアは振り返る。体を支える為に地面に手を突いた。
 手に何かが触れて、彼は一瞬動きを止める。何か布のようなものが、体の下に敷かれているのが分かった。
 持ち上げて、よくよく見てみる。
 龍騎士が来ている上着だった。

「起きたのか」

 無表情な声が、先ほど音のした場所から聞こえる。
 そして、マッチをする音。
 光に照らされて浮かび上がったのは――

「ノルヴ......隊長」

 思い出したように、敬称をつけるレア。
 それを聞いて、ノルヴは一瞬瞼を痙攣させた。

「別にいい......ここは戦地直下の洞窟の中。戦争も軍も関係ない場所だ......」

「う......うん......」

 気まずい、というのが、二人に流れている空気を表現するのには最適な言葉だろうか。
 互いに親友との再会を喜ぼうという気は大いにある。しかし齢七から十七の間に、互いが変貌したものは大きかった。顔も、体躯も、声も、全くではないにしろ、少なからず変わっている。

「その......何を言ったらいいか......とりあえず、ありがとう。助けてくれて......結局、再開したと思ったらまた助けられちゃったね......」

 言葉に詰まりながら、レアは言った。最後の言葉を言った時、彼の顔に影がさす。
 位置的にレアの表情の変化に気が付かなかったノルヴは、ランプを持って立ち上がった。
 その気配に気が付いたレアが再び彼の方に視線を向ける。
 洞窟の少し奥に歩いて行ったノルヴは、立ち止まると床に横たわる何かにランプを近づけた。
 横たわっていたのは、二匹の龍。片方は黒で、もう片方は暗赤をしている。付けられていた防具が、取り外されて横に積み上げられていた。

「お前の龍は、対龍弾を複数食らっている上に、落下時の負傷も少なくない。雨を避けてこの洞窟に入ったときはまだ歩けていたが、それが限界だろう。そして俺の龍も、残念ながらお前を救出する際に負傷した......どうする?」

 レアの発言を殆ど無視したような発言だ。しかし今の状況では最優先で決めなければならない事で、数瞬後にレアはそれを理解する。

「ここの正確な場所はわかんないけど、多分数日あれば徒歩でも基地に辿り着ける距離......でもこの天気で、しかも森や山を抜けるのは厳しいから......龍がある程度回復するまで、ここで待機するのが一番なんじゃないかな」

 少し考え、自分の考えを語るレア。
 どうやらノルヴも同感だったようで、大きく息を吐くとレアの前に戻ってきた。そして二人の間にランプを置いて座り込む。

「互いに異論がないようだから、そうすることにする......久しぶりだな。レア」

 ノルヴが初めてレアの名を呼んだ時、やっと二人の顔がランプの光に照らされる。
 彼の表情は、レアが想像していたよりも少しだけ、明るかった。

泡沫の龍騎士 10話

「ノルヴは......いつ知ったの? 僕が生きてたって」

 レアはおずおずとノルヴに質問する。
 それを聞くと、ノルヴは自嘲するように笑みを浮かべた。

「沖合であった戦闘の時、お前を見かけて初めて知ったよ......奇跡的に、お前の名が俺のとこまで届いてなかったんだ。お前は?」

「英雄の名前は流石に聞いてたけど、それが君の事なのかどうかの確信は持てなかった......だから、実質僕もつい最近、ってことになるねえ」

 ノルヴは、すぐ後ろに突き出した岩に背をもたれ、後頭部に両手を回す。

「お前とこうやって話す時がくるなんて、この十年間、思いもしなかったよ。あの火事の惨劇を見て、もう希望はないと思ったから......」

 彼と同じことを、レアも思ったらしい。気弱げに小さく笑った。

「そう......だよね......」

 そこで始めて、ノルヴはレアが落ち込んだ表情をしていることに気付く。
 彼が不審そうに顔を覗き込むと、レアは絞りだすように言った。

「ずっと、謝りたかった。ノルヴがそんな傷まで負ってるとき、僕は逃げる事しかできなかった。もしかしたら、助ける事だってできたかもしれないのに......」

 悔しげに唇を噛むレア。そして堰を切ったように言葉があふれ出す。

「それだけじゃない。いつも......今だって、関わらなくてもいいのにノルヴはわざわざ僕の事を助けてくれた。だけど僕は何もできない。感謝ばっかりして、何かノルヴの為にできたこと......一つもなかった。今は二人とも生きてることが分かって、こうやって話す事ができてるけど、今までずっと思ってたんだ」

「結局僕は、人に何もしてやれないんだって......十年前からずっと一緒に居るミストにも、恩返しみたいなことは何一つ......」

 その声は、震えていた。一言一言に、十年という年月の重さが含まれている。レアは、涙こそ流さないが、悔悟と無力感に肩を震わせていた。
 レアの姿を、ノルヴは暫しの間見つめている。といっても、レアに向けられているのは視線だけで、彼の双眸はレアの身体の向こうにある、どこか遠い所を見つめているようだった。

「なあ、レア」

 震えを止めるように、ノルヴはレアの肩に手を置く。
 気づいたレアは、彼の顔を見た。ノルヴはしゃがんでいる格好なので、丁度見上げる形になる。

「俺が、何でお前を龍騎士に誘ったか知ってるか?」

 首を横に振るレア。

「ノルヴが龍騎士にあこがれてたから、とか?」

「違う。俺は、お前に笑ってほしかったんだよ......」

 ノルヴが言った答えに、レアは奇妙な顔をした。
 それを見て、ノルヴは苦笑いしながら頬を掻く。

「まあ、ガキの頃の、今となっては意味の分かんねえ理屈なんだけど......あの狭い村で虐められてるお前でも、空の広さとか、龍の大きさとか、そういうのを知ったら笑ってくれるんじゃねえかなって思ったんだよ。お前、いつ何をされるかわかんない感じだったから、ずっと怯えたような顔してただろ? だからさ。それに、お前、ちょっと勘違いしてるぞ?」

 一旦口を閉じ、ノルヴは笑みを浮かべる。
 軍に入ってから一度も見せた事のない、心の底からの笑顔だ。

「俺が龍騎士に興味を持ったのは、お前のお陰なんだ。こういうとお前は面白くねぇかもしんないけど、自己満足でも、誰かの役に立てたり、誰かを助けたりするのって気分がいいんだってのを知ったんだよ。別にお前が弱いから助けてやろう、じゃなく、単純に誰かを助けたかったからなんだ。だから、軍に入る事を決めた。傍から見れば、殺し合いをする仕事だっていう人もいるだろうけど、俺には、誰かを守るために戦う、カッコいい仕事だって思えたんだ。それに今の俺があるのだって、お前のお陰だ。あの火事の時、俺はお前を助けようと動かなきゃ師匠にも出会えてなかったかもしれない。だからさ......」

 ノルヴは、がっしりとレアの両肩を掴んだ。

「別に気に病むんじゃねえよ。俺がしてるのは、わかりやすい助力で、お前が俺にしてくれたのは、自分じゃわからねえ助力だった、それだけなんだ」

 彼の声色は、普段の冷淡なものからはかけ離れていた。
 驚いたような目で、ノルヴの顔を見ていたレア。

「ほんとに......?」

 思わず口から洩れたのは、そんな言葉だった。彼がいつも抱いていた、罪悪感にも似た想いを、目の前でノルヴは一蹴したのだ。
 力強く、ノルヴは頷く。
 レアは口を開きかけた。だがその口から言葉が発せられる前に、激しい振動が二人を襲う。

「なんだ?」

 周囲に目を向けながら、ノルヴは立ち上がった。
 地面は、地震などとは少々違った揺れ方をしている。下から突き上げる感じ、というのは地震のそれと全く同じだが、揺れの中心が地面の奥深くではなく、彼らからあまり離れていない、地表近くにある。
 洞窟を形成する、乳白色の岩が砕けてパラパラと落下してきた。

「とりあえず、入口のほうまで避難しといたほうが......」

 緊迫した声色で、レアがノルヴに言う。
 ノルヴは頷き、自分たちより少し奥に寝かせていた龍二匹のほうをみた。どちらも既に目を覚ましていて、こちらに尾を向けている。揺れの中心を睨んでいるようだ。
 二人が動こうとした時、突然揺れが止まった。
 不気味な静寂が洞窟内に充満する。
 暫く何も離さずに、周囲を警戒するノルヴとレア。

 静寂を切り裂くように、岩が砕ける轟音がした。龍達の、更に奥の地面が陥没し、大きな穴が開く。
 一瞬静まり返った後、穴の中から鼓膜が破れそうなほどに大きな咆哮が聞こえてきた。
 思わず耳を塞ぐ二人。龍達は、穴から離れ、二人の傍まで後退してきていた。

「......まさか、龍か?」

 轟音の中、ノルヴは呻きながら言う。
 彼の言葉を証明するように、穴の中からは、通常の何倍もある大きさの龍が現れた。光源はランプだけで、見えるのは龍のシルエットのみで、何色をしているのかすらわからない。
 穴から半身を出した龍は、咆哮をやめる。そして唸ったかと思うと、直後口からブレスを吐き出した。色は、黒でも赤でもない。まるで雪のような純白だ。しかも自ら光を放っている。霧のようなそれは、ノルヴらに襲い掛かるでもなく、天井付近の空間に充満した。
 ブレスが照明の役割を果たし、洞窟全体が明るくなる。
 全貌を見た時、ノルヴもレアも驚愕で声を失った。
 純白の龍が、巨大な穴から半身を覗かせ、こちらを見ているのだ。周囲の岩が、くすんだ白ともとれる乳白色をしているので、龍の白さはより一層際立っているように見える。

「こ、こんな色の龍って、居るんだっけ?」

 混乱しつつ、レアがノルヴに聞いた。

「いや、龍の色は黒と暗赤と紫だけ! 白なんて見た事も聞いた事もないぞ......でも目の前に居るからなあ......」

 筋の通らない事を言うノルヴ。
 驚愕に顔を染めた二人を、巨大な白龍は睥睨するような目つきで見下ろしていた。
 その時、白龍と比べると、まるで模型のように思えるノルヴとレアの龍が、信じられない行動をとる。
 二匹の龍が、頭を垂れるような挙動をしたのだ。
 目の前で次々に起こる事象に、ノルヴもレアも声が出せなかった。
 しかし、驚愕の連鎖はそれで終わりではなかった。

「人が、二人いるようだな」

 巨大な白龍が、はっきりと、喋ったのだ。
 明るくなった洞窟は、再び静まり返る。
 ノルヴらは、呆然自失といった感じで白龍をただ見上げていた。

「どうした、喉を無くしたか?」

 まるで二人の反応を楽しんでいるかのように、白龍は目を細める。

「りゅ、龍、か?」

 やっとノルヴが放った言葉は、それだけだ。他に浮かぶ言葉が無かった。

「お主らの目に映ってるものが事実。私が龍に見えるのなら、それが事実だ」

 白龍の声は、荘厳な響きをしている。この龍がそうなのかどうかはまるで分らないが、王の風格、というようなものが感じられた。

「喋れる龍なんて、存在したの......?」

 今度はレアが言う。
 すると白龍は、少々苛ついた声を上げた。

「お主らが見えている通りだと何度も言わせるな。まあ、ここ何百年の間私を見た者はいないから、その反応も致し方なし、か。この洞穴に人が入ってきたので何事かと出てきてみれば、なるほど、戦で負傷したのか」

 言いながら、白龍はレアの龍にチラリと目線を向ける。対龍弾による負傷に気が付いていたようだ。

「なるほど、アルムをここまで加工できるようになったか。矢張り人間は面白い......普通の龍ならば数日でアルムの影響かから抜けられる。それまで、ここに居ようということだな?」

 白龍は、目線を龍からノルヴらに移した。

「ここは、お前の巣なのか?」

 やっと落ち着いてきたノルヴが、白龍に聞く。
 頷くような動作をする白龍。

「別に遠慮することはない。お主ら人間の世では、私は居ないも同然の存在だ。ここでもそう振舞うのは道理に外れた事ではない。食料も、この森ならば獣がそこら中に居るだろ――」

「いやいや、そんなことよりも......」

 あと少しで終わるとおもわれた白龍の言葉を、ノルヴは遮った。

「お前は一体何なんだ。巨大で、言葉を話せる龍なのはわかる。だが新種というには俺たちの事を知りすぎてるだろ。もし過去に人間とお前が何らかの形で関わってるんなら、なんで俺たちはその事を知らないんだ」

 この数分間で湧いた疑問を、ノルヴは一気に吐露する。彼が口を閉ざすと、反響を残して洞窟は静まり返った。
 ノルヴが危惧していたのは、能力が未知数であるこの龍、もしくはその同種が知らないところで人の手の内にあることだ。そうなると、戦闘時敵軍に誰も見たことのない龍が存在している、なんて状況が起こりえない。そしてそれは、戦争において圧倒的に不利な状況にある、ということにもなる。
 彼の言葉を聞いて、白龍はグルリと喉を鳴らした。

「なるほど、多少賢いようだな......話せぬこともないが、聞くか?」

 白龍の言葉に、ノルヴは頷く。

泡沫の龍騎士 11話

「この大陸における人と龍の関係は、遥か昔、一人の男から始まっているのだ」

 白龍は穴から這い出て、地面に座り込んだ。
 話が長くなるからお主らも座れという風に言われ、ノルヴとレアも地面に座る。
 再び白龍の口が開かれ、人と龍の歴史が語られた。

 人と龍は、太古互いに干渉せずといった営みをしていた。白龍のような、人の言葉を話せる特殊な龍種も既に存在していたが、彼らは洞窟の奥深くに住み、人と出会うことはなかった。
 ある時、物好きな男が龍の巣である洞窟の奥深くを訪れた。彼は意思疎通のできる龍を見て大いに驚いていたという。
 龍としてもそれは同じで、男と龍は互いに興味を持った。
 友好的で博識な男を気に入ったその龍は、その者に龍の持つ知恵を教える事にしたのだ。さまざまな効果を持つ鉱石と、その加工技術。そして龍と契約する方法などだ。

「今の人々は、鉱石加工の事を錬金術と呼ぶと聞いている。そしてお主らがしているように、龍との契約の知識は常識と言えるまでになった」

 話の前段をそうまとめた白龍。それを聞いて、ノルヴらは驚愕した。つまり今の文明が軸としている錬金術、そして操龍の技術は、すべてその龍によって人類に齎されたということになるのだ。錬金術がなければ、火薬や重火器も誕生していない。まさに文明の根幹といえる話だった。

 話を続ける白龍。

 実はその龍は、男に一つ虚偽を教えていた。契約のメカニズムについてだ。契約そのものは、ノルヴやレアが昔経験したように、自らの血液をつけた鉱石を龍に与える、というものである。しかしそれによって生じるのは、龍と人との主従関係ではなく、ある程度の感覚の共有だけなのだ。つまり龍を本当の意味で自在に操ることができるわけではない。

「じゃあ、どうして?」

 レアが聞いた。それと同時に、レアの龍がゆっくりと彼の元に歩み寄ってくる。

「その男と龍が、『約束』をしたのだ。龍と共存関係を結ぶ代わりに、龍を操る術を人に授ける、というな」

 約束は、男と龍の他愛ない会話の中で交わされたそうだ。人と龍双方の将来に多大な影響を与えるものだったが、互いにそこまで気が回らなかったようだ。

 白龍は、一旦口を閉じた。話の区切れのようだ。

「随分と呑気な......」

 思わずノルヴが呟く。
 同感らしく、白龍は笑うように喉を鳴らした。

「この事は、我々龍は皆知っている事だ。だが人間側は、お主らがそうであるように全く話が伝わっていない。これは龍が人の家畜となることを恐れた男の計らいだそうだ。本来ならばお主らにも内密にすべきことだが......それなりに賢いと見受けたから教えた。疑問は解決したか?」

 問いかけに頷くノルヴ。
 一方のレアは、とんでもない場に居合わせた事に若干怯えを感じていた。

「ね、ねえ、本当にこんな話聞いてよかったの?」

 思わずノルヴに耳打ちする。
 今更何をといった風に、ノルヴは肩を竦めてみせた。

「あともう一つ、白龍の能力も聞きたい」

 ちらりと天井を見上げるのノルヴ。数分前白龍が吐いたブレスは、未だ天井にとどまり洞窟を照らし続けている。

「興味が尽きぬようだな......我々白龍のブレスは、触れた生物の命を奪うことができる代物だ。どうだ? 戦に絡ませるのは危険だろう」

 その言葉を証明するかのように、蝙蝠が一匹洞窟の中に入ってきた。天井に止まろうとするが、ブレスに触れた瞬間動きが止まり、地面に落下してくる。
 ノルヴは、少々顔を青ざめさせた。白龍の言うように、どこかの国の手に渡ったとしても、戦況は恐ろしいほどに一変するだろう。

「まあ、白龍が人前にでることは恐らくありえないだろう。他に聞く事がないなら、話はこれで終わりだが」

 逡巡の後、ノルヴは話を終わりにした。

「もう十分だ、感謝する。俺たちはレアの龍が回復するまでここにいるが、いいんだよな?」

 立ち上がろうと腰を浮かせがながら言ったノルヴの言葉に、白龍は頷く。

「これも内密の話だが、その龍を早く回復させる方法があるぞ」

「本当か?!」

 突然の朗報に、ノルヴが喜々とした声を上げた。
 それと同時に、二人の背後で石が転がる音がする。気づいたのはレアだけだった。

――

「この鉱石だ」

 白龍は、ノルヴ達を洞窟の奥へと案内した。いくつか分岐があったのだが、白龍は道順の全てを覚えているらしい。
 彼らの目の前の岩壁からは、入口の方にあったのと同じ乳白色の鉱石に、少しピンクが混じったような色をしている鉱石が大量に露出している。

「......見た事ないよこんなの。ノルヴは?」

 割れて地面に転がっていた鉱石を手にとり、レアは呟いた。
 ノルヴは顔を横に振る。

「その鉱石は、龍の体内を巡るエネルギーの流れを活性化させる......というと分かりづらいな。要は、食べた龍の傷を瞬時に直すことができる効果がある。無論、アルム鉱石による傷もな」

 彼らの後ろに佇む白龍が、説明した。
 二人は瞠目して再び鉱石に目を向ける。

「そんな都合のいい鉱石が......」

 信じられない、といったようにノルヴが言った。
 それを聞き、白龍が鼻を鳴らす。先程から仕草の一つ一つが妙に人間味あるものだ。

「実際に試せばわかる」

 白龍の言葉が合図になったかのように、その背後から一つの影が出てきた。覚束ない足取りで、レアの暗赤龍が歩いてきたのだ。
 暗赤龍はレアの前に来ると立ち止まった。
 手の中にある鉱石を見つめるレア。彼はチラリとノルヴに不安げな眼差しを送った。
 視線に気が付いたノルヴは、背を押すように頷く。
 レアは、鉱石を暗赤龍の口に投げ込んだ。
 放物線を描く鉱石を、暗赤龍は口で受け取る。

――

「......すげえな、あの石」

 洞窟の入口に向けて移動しながら、ノルヴは呟いた。彼の斜め後ろを歩いている暗赤龍は、ほぼ無傷に近い状態になっている。

「あの量では全快はしなかったようだな......だがあれは多すぎても毒、この程度ならば飛ぶのに問題はないだろう」

 一行の一番後ろを歩いている白龍が、二人に言った。

「ありがとう......ございます」

 思わず敬語で、レアが礼を述べる。丁度洞窟の入口が見えてきたタイミングだった。

「別に構わん。ここで見聞きしたもの全て、内密にしてくれればいいだけのこと。私こそ、滅多に来ない話し相手になってくれたことを感謝したい」

 結局、白龍のやったこと全ては暇つぶしに準ずるものだったらしい。それを悟ったノルヴとレアは、二人して顔を見合わせる。
 洞窟の出口に出た。雨は上がったものの、時刻は夜だった。満月が空高く昇っている。

「これは、結局ここで一泊するしかないみたいだ」

 黒龍であるノルヴの龍はともかく、レアの龍は夜目が効かない。

「ならば、適当に休んでいればいい。私は塒に戻る」

 欠伸交じりで白龍が言った。そして、出てきた時に開けた大穴に戻っていく。
 白龍の姿が見えなくなると同時に、天井付近のとどまっていたブレスが消え、洞窟は闇に包まれた。

――

 翌朝日が昇るとすぐに、ノルヴ達は基地に向けて出立した。
 レアの龍は、傷を回復させてからまだ半日も経っていないのだが、全く問題ないようだ。

「やっぱ本部への通信石は壊れてるみたいだ」

 ギリギリまでレアに近づいたノルヴが、大声で言う。彼は先程から、自分の耳に付けた通信石を弄っていた。

「僕たちが帰ったら絶対びっくりされるね......ミスト、どんな顔するだろ」

 レアがミストの名を出した時、ノルヴはピクリと眉を動かす。

「あのお調子者が、十年前お前を助けたんだってな」

「知ってるの?」

 苛立たしげに言うノルヴに、レアが意外そうな顔をした。どうやら、ミストがレアのことを話した事は伝わっていないらしい。

「聞いたんだ、本人から。どうなんだ、あの男は」

 まるで自分の娘の恋人を品定めする父親のような言い方だ。
 逡巡するレア。

「性格はかなり軽いけど、頭が切れて、腕も経つ。結構頼れる人だよ」

 あまり納得がいかないのか、その言葉にノルヴは微妙な相槌を打った。

「......何かあったの?」

 妙にミストの事を毛嫌いしている様子のノルヴを、レアは訝しむ。

「あの軽いノリが好きじゃない。あと馴れ馴れしいのもな。お前、どうやってあいつに出会ったんだ?」

 彼が尋ねているのは、彼がミストから聞いた以前の事、ノルヴと別れてからミストに合うまでの事を聞いているようだ。
 二人は、特別急いでいるわけでもなく、やや遅めで空を飛んでいる。風の音も若干小さく、近づいていれば普通の会話も可能な程度だった。
 レアは、遠いどこかを見つめるような顔になり、口を開く。